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暗黙知と安全が壁になる――製造業AIの“本格導入”実現に導く4つの論点

バリューチェーンにおけるAI活用で競争力を高める

生成AIの普及で、企業内の「まず触ってみる」は一巡した。しかし製造業の本丸は、チャット型AIの利便性ではない。品質、需給、設計・生産・物流の意思決定、そして工場の“実物”が動く領域である。AIの価値が出やすい一方、暗黙知や安全・規制が絡み、実装が最も難しくなるのもまた製造業だ。

合同会社デロイト トーマツのパートナー下川憲一はAIとデータの観点から、同じくパートナー井上智はサプライチェーン/バリューチェーンの観点から、ディレクター白雪松(バイ)は製造業、とりわけ自動車の現場実装の観点から、製造業×AIの論点を持ち寄った。焦点は「生成AIを導入するか」ではない。「どの経営課題に効かせ、どう現場へ落とし、どう運用し続けるか」である。

製造業を取り巻く構造変化が、AIを「現場の経営課題」に押し上げた

井上が最初に示したのは、AIの話よりも先に競争条件が変わっているという前提だ。井上は「製造業におかれている環境変化として、メガトレンドが三つあります」と切り出した。

一つ目はグローバル化である。「2000年初頭から中国のWTO加盟があり、生産の中国移転が進みました。サプライチェーン自体がグローバルに展開してきたのです」。

二つ目は製品のデジタル化とIoT化だ。「製品がインターネットを介してつながり、価値の作り方が変わりました」。

三つ目がサステナビリティ経営である。「サステナビリティの重要性がこれまで以上に高まっています」。

3つのメガトレンドについて説明する井上

合同会社デロイト トーマツ パートナー 井上 智
大手製造業メーカーで数多くのIT・SCM変革を手掛けた後、現職に就任。自動車、半導体、製薬、コンシューマープロダクトなど、製造業を中心としたバリューチェーン変革に強みを持つ。設計・製造の現場改革からグローバル事業マネジメントの刷新に至るまで、クライアント企業の価値最大化を目指したコンサルティングを一貫して手掛けている。さらに近年では、製造業における新たなオペレーティングモデルや事業基盤の実現を目指し、バリューチェーン・データの戦略的活用とその定着化にも取り組んでいる。

この三つに、現場側の制約として人材不足が重なる。井上は工場での経験を引き合いに「プロジェクトに出てきた10人が全員50代で、若手がいない」と語り、人手と技能継承の断絶が、もはや現場の努力だけでは埋まらない段階に入ったと示唆した。白(バイ)も「人材不足はサプライチェーンにおいてグローバルで再編を進めていく上で難しい課題になる」と述べ、供給網の揺らぎと人材制約が同時に来ている現実を重ねる。

こうした変化の中で、AIは“付け足し”ではなく競争力を作り替えるための手段になる。白(バイ)は「日本の製造業が勝つために、コアになるアイデンティティと強みは何なのかが問われる時代です」と言う。製造業におけるAIは、便利なツール導入というより、経営課題を起点にバリューチェーンの設計を引き直すテーマになった。

では、製造業におけるAI活用の本格化を阻む要因とその突破について、以下4つの論点で整理する。

論点①現場でAIが止まる「暗黙知」「安全・規制」という二つの壁

現実の工場や開発・品質の現場では、AI活用が思うように進んでいない。鼎談で繰り返し出たのは「暗黙知」と「安全・規制」という、製造業固有の二つの壁である。

暗黙知について白(バイ)は、日本の強みを「二つある」と整理した。「一つは“すり合わせ”です。人の頭の中にある知見で、これは財産です。ただ、個人の頭の中に閉じたままだと戦える材料になりません」。もう一つは「“アダプテーション能力”です。追いつくというより、取り込んで使いこなす力が日本は強い」。

暗黙知における二つの日本の強みを説明する白(バイ)

合同会社デロイト トーマツ ディレクター 白 雪松
日本の電気通信大学にて経営工学専門の博士前期課程を卒業。製造業全般、主に国内外のOEMと関連サプライヤーを中心に、サプライチェーン、エンジニアリングチェーン改革について戦略立案から実装までを手掛けており、 M&A、新規事業構想、業務改革など数う多くのプロジェクトをリード。日本製造業メーカーの事業戦略、海外展開のみならず、Digital、AI、Data、Agileなど技術とメソドロジーを梃にした現場の将来業務の設計、変革・改善実行にも強みを持っている。近年は日本企業の顧客、モビリティの起点としたビジネス変革の加速化にも取り込んでいる。

白(バイ)は、日本の現場がハイコンテキストで回ってきた歴史を踏まえ、「データセットがどれだけ標準化されているか、可視化するルールづくりが重要です」とも指摘する。

だが、その“財産”をAIに学習させる段になると、現場は止まる。白(バイ)は「現場で、きれいな文章を書きなさい、というのは無理な話です。その人が得意な仕事をやってもらって、代わりに可視化できるものをスキャンしたり、画像分析したりするほうが現実的です」と言う。

井上も「現場にデータを構造的に吐き出させること自体に無理がある」と応じ、「インタビューAIみたいなものを通じて、それを学習して、またインタビューしていく」と、“現場に書かせる”のではなく“AIが取りにいく”導線を提案した。

もう一つの壁が安全と規制である。生成AIの多くは情報空間で完結するが、製造業は「実物」が動く。

下川は「フィジカル領域は事故防止や安全が重要です。人の命に関わるので、ここを超えられないとなかなか難しくなります」と強調する。井上も「日本でも、安全面からフェンス設置が必要になるなど安全設計が絡みます」と述べた。AIが“正しく動くか”以前に、“動かしてよい状態”を作る必要がある。製造業AIの難しさは、この前提条件に集約される。

論点②汎用AIと特化AIの「分解」と「再結合」へ

では何から始めるべきか。下川が示したのは、業務を「汎用AI」と「特化AI」に分けて考える設計思想である。いきなり匠の暗黙知や高度な最適化に踏み込むと重くなる。まずはプロセスを分解し、汎用で置き換えられる部分を増やす。その上で、特化領域に進むという順番だ。

汎用AIと特化AIに分けて考える設計思想について説明する下川

合同会社デロイト トーマツ パートナー 下川 憲一
総合商社、サービス業、メディア業、通信業等など幅広い業界に対して15年以上の支援を行っている。中期経営戦略、事業戦略、新規事業開発などの戦略立案プロジェクト、業務改革、組織構造変革と連動したコスト低減、自動化推進プロジェクトを数多く手がけている。また、近年は生成AIとデジタルツールを組み合わせた業務変革に取り組んでいる。戦略・計画立案だけでなく、実行サポートの経験も豊富。

下川は購買業務を例に説明した。「購買業務の中でも、需給予測のように“特化型AI”が効く部分があります。ただ、それはプロセスの一部で、それ以外の大部分は、データを持ってきて別のフォーマットに入れ込むような“汎用的な作業”が多いのです」。そして「特化する部分と、汎用的なアクションを組み合わせてプロセスが出来上がっていきます」と続けた。

この分解は、製造業の各機能に横展開できる。情報の調査・取得、整理・要約、点検・照合、分析・回答作成、判断・意思決定、入力・送付。こうした“汎用機能”を整えるだけでも、現場に近い領域の仕事はかなり動く。下川が指摘するように、現状は「生成AIは使っているが、製造現場の中に入っていない」状況が残る。ならば現場に合わせて、まず汎用部分から“入れ直す”ことが現実解になる。

ここで重要なのは、テーマが「生成AIの〇〇」から「課題ベース」へ変わっている点だ。下川は「2024年は生成AIの〇〇っていうプロジェクト名がほとんどでした。でも2024年10月ぐらいから潮目が変わって、テーマは課題ベースがほとんどです」と語る。象徴的なのが品質管理である。下川は「パーツがモジュール化しているので、一つの不具合が何百万台のリコールにつながります。それをいかに早く見つけて出荷を止めるのかが重要です」と述べた。ここでは「生成AIを入れました」では価値にならない。「リスクを防ぐ」「損失を減らす」「判断を速くする」といった経営課題に直結して初めて、AIは投資対象になる。

論点③デジタルツインとフィジカルAI――仮想で試し、現実に落とす

製造業AIが次に向かうのが、デジタルツインとフィジカルAI(Physical AI)である。情報の効率化だけでは、製造業AIの価値は生まれない。設備、ライン、物流、ロボットのように、現実世界の制約下で“実行”する領域にこそ大きな余地がある。

とはいえ、いきなり工場で動かすのは危険が伴う。ここでデジタルツインが効く。下川は「デジタルツインは研究開発だけでなく、サプライチェーンでも使えます」と述べ、井上も「工場のレイアウトや倉庫をバーチャル空間上に再現し、効率性をシミュレーションしてからフィジカルに落としていく、という順番が現実的です」と言い換えた。実世界に出す前に、仮想で“試せる”状態を作る。これが安全・規制・責任分界という壁を越える一つのルートになる。

ただし最後に残るのは、やはり安全である。下川は「フィジカル領域は事故防止や安全が重要です」と繰り返し、井上も「規制や安全の担保がないと浸透していきません。だからこそ、実証しながら制度設計していく発想が必要になります」と述べた。製造業のAIは、モデルの性能競争ではなく「現実に落とし込むための設計力」で差がつく。デジタルツインは、その設計力を現場に接続する“助走”になる。

論点④AXの成否は「総合設計」にかかる

鼎談の終盤で論点は、ツール導入から変革(AX:AIトランスフォーメーション)へ移った。AIを“便利な支援ツール”として扱うだけでは、製造業の競争力は戻らないという問題意識である。

井上は「経営層なり責任者のIT・AIリテラシーを上げていく必要があります」と語り、経営側が腹落ちしない限り全社変革は実現できないと強調した。一方で白(バイ)は「現場主義が強い日本だからこそ、今は中間レイヤーの覚悟を問われる時代かなと思っています」と述べ、トップダウンの号令だけでも現場任せでも進まない現実を示した。現場起点の改善と、全社での意思決定と投資判断。その両方をつなぐ“推進装置”が要る。

AX(AIトランスフォーメーション)に必要なのは現場と経営をつなぐ推進装置と話す3名

下川は、部門横断で推進する仕組みの作り方にも触れた。「あらためてAIを推進するCoE(Center of Excellence)をどのように作るのかが重要です。従来のCoEとはまた違った「人材」、「育成方法」も必要になってきている」と語る。個別ユースケースを積み上げるだけでなく、共通機能(データ整備、品質・安全のガードレール、運用手順)を磨き、横展開できる状態にすることが“本格導入”の条件になる。

下川は、AIとデータの専門性だけでは完結しないとした上で、「デロイト トーマツはクライアントの課題に適した専門メンバーを編成して支援しています。サプライチェーン×AIは重点的に支援する領域の一つです」と語った。製造業のAXは、技術の導入案件ではない。経営課題から逆算し、バリューチェーン全体のどこに汎用AIを入れ、どこを特化AIで深掘りし、どこをデジタルツインで試し、どこをフィジカルAIで実行するか。その設計を、業界知見とAI技術、さらに安全・品質・OT(制御や設備)・人材・制度まで含めて作り切る必要がある。

白(バイ)は、現場展開の難しさを踏まえ、「突然AIを使えと言われても、現場は苦労します。ベンダーは『これが良いです』と製品導入がゴールになりがちですが、私たちは課題整理からチェンジマネジメントまで含めて広く設計できます」と語る。デロイト トーマツはAI、データ、サプライチェーン、製造現場、品質・安全、組織・人材といった異なる専門性を束ね、論点の優先順位を付け、実装と運用の“型”に落としていく。鼎談が示したのは、製造業AIの勝負どころが、まさにその「総合設計」にあるということだ。

製品導入がゴールとなりがちだが、総合設計が重要と説明する白(バイ)

製造業AIは「モデル」ではなく「設計・運用・組織」で決まる

製造業におけるAI活用は、生成AIの流行語で語れる段階を過ぎた。テーマは「生成AI」から「課題ベース」へ移り、品質のように経営課題が明確な領域ほど本格導入が始まっている。一方で、現場には暗黙知と安全・規制という固有の壁がある。だからこそ、問われるのは「どのモデルを選ぶか」ではない。バリューチェーン全体をまたいで設計し、運用し、組織をアップデートできるかにかかっている。

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