企業経営において「ブランド」は長らく、感性の領域に属する“つかみどころがない”ものとして扱われてきた。広告宣伝費は会計上「費用」として処理され、業績が苦しくなれば真っ先に削減対象となる。一方、M&Aの局面では「稼ぐ力」として評価され、時に巨額の価値がつく。この矛盾はなぜ生じるのか。そして、ブランドを資産としていかに定義し、経営・財務の意思決定につなげるべきか。本稿では、ブランドを経営の言語に翻訳し、企業価値向上につなげるための考え方と実践手法を解説する。
企業がブランド構築のために投じる広告宣伝費や顧客体験の改善コストは、会計上、「費用」として処理される。ところが、M&Aの局面では、ブランドは「将来キャッシュフローを生み出す無形資産」として評価され、数百億円単位の価値がつくこともある。
この矛盾の背景について、合同会社デロイト トーマツのDesign & Brandチームを率いる額田康利は、2つの観点から説明する。「1つ目は、会計が基本的に“過去の実績”を記録する仕組みだということです。広告宣伝や顧客体験の改善といったブランド投資は、日々の事業活動ときれいに切り分けづらい。だから、自社でつくり上げたブランドは資産として“見えにくい”のです」。
2つ目は、M&Aではその扱いが変わることだ。買収価格の中身を説明する必要があるため、ブランドのような無形の価値も、“将来の稼ぐ力”として評価される。
このダブルスタンダードが、企業経営に大きな影響をもたらす。社内でブランド投資のROI(投資収益率)を合理的に説明できなければ、「よく分からない費用」として扱われ、業績が厳しくなれば削減対象となりやすい。
だからこそ、額田は「ブランドを、“経営の言葉”で整理し直すことが重要」だという。
では、具体的にどう整理すればよいのか。額田によれば、ブランド投資を経営の意思決定に落とし込むための論点はシンプルで、以下の2点に集約される。
「売り上げが伸びる」という大まかな効果説明だけでは不十分で、「価格の維持」「解約率の低下」「人材の採用・定着」「危機発生時の下振れ抑制」といった具体的かつ多面的な効果を含めて「どこに効かせる投資か」を説明できれば、ブランド投資は費用ではなく“企業価値を高める投資”として認識される。
折しも、東京証券取引所はPBR(株価純資産倍率)1.0倍超を目指す資本コスト経営を強く要請している。会計上の純資産を超える企業価値の源泉として、ブランドを含む無形資産の役割がかつてなく高まっている。ブランド価値を定量的に評価する仕組みは、企業価値を高めるための強力なツールとなるのである。
多くの企業では、ブランドの議論が迷走しがちだ。そこには、構造的な要因が横たわる。経営層は投資対効果を求め、マーケティング部門は認知度やブランドイメージを語り、現場は顧客体験の改善を訴える。同じ「ブランド」という言葉を使いながら、三者の視線は交わらない。
「議論がかみ合わないのは、みんなが違う景色を見ているからです。それを解消するには、共通言語が必要になります」と額田は指摘する。共通言語を持つことにより、以下の3つの“ずれ”を解消することができる。
1つ目は、ブランドを「広告やデザインの話」に閉じてしまうことだ。広告やデザインはブランド構築の重要な要素だが、それだけでは経営の議題に上がりにくい。
2つ目は、KPI(重要業績評価指標)が「認知度」「好意度」といった指標で止まってしまい、売り上げ・利益・資本効率といった財務指標へとつながらないことである。ブランド施策の効果測定が、財務成果と接続されていないことにより、このずれが生じる。
3つ目は、会議体や役割の分断だ。経営企画、マーケティング、財務、人事——それぞれが別々の会議で別々の指標を追いかけているため、全体を俯瞰する「共通の地図」が存在しない。
「だからこそ、私たちはブランドを“共通言語”に落とします。つまり、どこに効かせる投資かを、誰が見ても分かる形にするのです」(額田)。
ブランドに関わるプレイヤーは多い。広告会社は表現を磨き、調査会社は認知や好意度を測定し、人事系コンサルティング会社は採用や組織エンゲージメントに力点を置く。いずれも専門性の高い仕事だが、それぞれが個別最適に終わってしまえば、企業価値の向上にはつながりにくい。
「企業価値を上げるには、それらをつなげて、投資判断と説明責任が回る仕組みにする必要があります」と額田は語る。その鍵となるのが、ブランドを「期待値資産」として扱うという発想だ。
「ブランドを“期待値資産”として扱うと、議論の中身が変わります。単に“イメージが良くなるか”ではなく、価格を守れるか、解約や離脱が減るか、営業や採用の効率が上がるか。そういった、経営の論点で整理できるようになります」(額田)。
感覚的な成果で終わりがちだった議論に、期待値資産という視点を導入すれば、ブランド投資を将来キャッシュフローの期待値とリスク低減という財務的なフレームで捉え直すことができる。結果として、ブランド投資は「コスト」ではなく「資本効率を高める投資」へと位置づけが変わっていく。
経営学の世界では、持続的に高い収益を上げる企業は“目に見えない強み”を持っていると言われる。顧客からの信頼、従業員のエンゲージメント、独自の技術やノウハウ——こうした無形の資産が、競争優位と利益の源泉になる。ブランドはその代表格だ。
ただし、ブランドという強みを持っているだけでは十分ではない。「重要なのは、強みを感覚で語るのではなく、利益や成長につながる道筋を設計することです」と額田は強調する。
デロイト トーマツのアプローチは、ブランドを「つくる」ことではなく、経営資産として「設計・管理・説明可能」にすることにある。企業価値の向上には、足元の収益を最大化する「利益づくり」に加え、将来の成長可能性を市場に示す「期待値づくり」の両輪が欠かせない。ブランドを期待値資産として実数値で管理・検証することで、より戦略的な投資判断が可能になる。
ブランドを「期待値資産」として扱うという考え方は理解できても、実務に落とし込むのは容易ではない。ブランドの影響範囲があまりに広いからだ。顧客の購買行動、従業員のエンゲージメント、投資家の期待、採用市場での競争力——。ブランドはあらゆる領域に作用するがゆえに、「どこに効いているのか」が見えにくい。
この課題を解決するために、デロイト トーマツが考案したのが「18マス」モデルである。
具体的には、縦軸に「3つのブランド階層」(企業、事業、製品・サービス)、横軸には「6つの資本」(財務資本、製造資本、知的資本、人的資本、社会・関係資本、自然資本)を配置する。3×6で18のマスが生まれ、それぞれに対応するKPIを設定することで、ブランド投資の影響範囲を網羅的に可視化する。
このフレームワークの意義は、ブランドを「感覚的に」ではなく「定量的に」管理できるようにする点にある。
「この地図があると、"いまの施策はどのマスを厚くしていて、どんな成果指標で確認するのか"が見えます」と額田は語る。例えば、企業ブランドへの投資が人的資本(従業員エンゲージメント)を高め、それが知的資本(特許・商標の創出)を媒介して、最終的に製品・サービスの価格受容率や継続使用率を押し上げるといった因果の連鎖を、18マス上で追跡できるようになる。
18マスモデルは、経営・財務・現場が同じ景色を見るための「地図」であり、議論を迷走させないための「共通言語」でもある。ブランド投資がどこに効いて、最終的に企業価値にどうつながるのか。その道筋を構造化することで、ブランドは経営の意思決定の俎上に載るのだ。
優れたデザイン、印象的なビジュアル、心を動かすブランドストーリー。これらはブランド構築において不可欠な要素だ。しかし、どれほど秀逸なクリエイティブであっても、それだけで取締役会の承認を得ることはできない。
取締役会で議論されるのは「好き嫌い」や「格好良さ」ではなく、企業価値への「効き方」である。リスクとリターンを説明できなければ、どれほど魅力的な提案も承認されることはないだろう。
では、デザインやクリエイティブの価値を、どうすれば経営の意思決定につなげられるのか。
「必要なのは、デザインの価値を経営の言葉で守ることです」と額田は強調する。具体的には、以下の3つをセットにして設計することで、デザインを“経営の言葉”に翻訳する。
第一に、どの成果に効く投資かを明確にする。価格維持、採用・定着、契約更新率、リスク低減など、ブランド投資が狙う成果を特定するのだ。第二に、どのKPIで途中経過を追うかを決め、施策の進捗を測定可能な指標に落とし込む。第三に、どの会議体で、誰が判断するかを定めることで、意思決定のガバナンス構造に組み込む。
「私はデザインを語るときほど、"どこに効かせる投資か"を先に語るようにしています」と額田は言う。「避けたいのは、世界観やトレンドといった感覚的な言葉だけで押し切ることです。それでは取締役会を通せませんし、投資家にも説明できません」。
デロイト トーマツの強みは、この翻訳作業を一気通貫で担える点にある。
戦略立案やデザイン開発だけでなく、ガバナンス設計、KPI設計、組織の評価制度への実装、そして統合報告書やIR(投資家向け広報)での対外説明まで、一つのストーリーとして組み立てることができる。広告会社やデザイン会社では踏み込めない領域だ。
さらに、デロイト トーマツはM&AにおけるPPA(取得原価の配分)や無形資産評価の実績も豊富に持つ。ブランドをEV(企業価値)、WACC、ROIC(投下資本利益率)といった財務指標と同じ地図上で語れる専門性があるからこそ、感覚論ではなく「説明責任に堪える数値」へと翻訳できるのである。
実際のプロジェクトにおける具体的な調査・分析手法の一部を簡単に紹介する。
ブランドを経営資産として管理するには、現状を正確に把握することから始まる。デロイト トーマツが実務で活用する手法の一つが「ビジュアルオーディット(視覚監査)」だ。
「ビジュアルオーディットは“見た目の点検”ではなく、信頼と効率の点検です」と額田は説明する。
具体的には、ロゴ、営業資料、Webサイト、採用ページ、拠点の看板など、企業が発信するあらゆる視覚表現を点検し、一貫性が保たれているかを確認する。表現がバラバラになっていれば、顧客は不安を感じ、社内のスタッフも判断に迷う。つまり、ブランドの信頼性と業務効率の両方が損なわれるわけだ。
ビジュアルオーディットを通じて、UX(ユーザー体験)視点での問題点や競合に対する劣後点をあぶり出し、今後の視覚表現の戦略的な方向性を定めることができる。
もう一つの手法が「ヒューマニック調査」である。これは、顧客や従業員が意思決定を行う際、どこで迷い、どこで納得するのかを詳細に分析する調査だ。いわば、「“人が動く瞬間”をつかむ調査」(額田)であり、要素分解やタッチポイント分析などを通じて、ブランドの「らしさ」やコミュニケーションの有効性を多角的に把握する。
重要なのは、これらの調査結果を「18マス」モデルにマッピングすることだ。「どのマスを改善するのが一番効くか」を判断し、財務・非財務のKPIを統合設計することで、ブランド投資が“打ちっ放し”の施策になることを防ぐ。調査と戦略、そして効果測定が一本の線でつながり、ブランド投資を企業価値向上へと着実に結びつけていくのである。
ブランドは“つかみどころがない”空気のような存在ではない。将来のキャッシュフローを押し上げ、そのブレを小さくすることもできる、設計可能な経営資産である。
デロイト トーマツのDesign & Brandチームは、ブランドを「Bond(絆)」と定義する。人の感性や感情に働きかけ、企業との絆や結びつきを強める役割を果たすのがブランドであり、投資家だけでなく、顧客や従業員から「信頼を調達する」ために行うのが、ブランド投資だ。そう捉えることで、非財務指標であるブランド価値といういわば「感情科目」と、財務諸表の「勘定科目」を統合的に説明することが可能になる。
「説明できないから、ブランド投資を削るのではなく、『説明できる形にして、ブランドを育てる』。私たちは現場から取締役会、そして対外説明まで、クライアントと共に取り組みます」。額田はそう語る。
もし今、「ブランド投資を行うべきだと思うが、社内で説明しきれない」と感じているなら、それは会社が次のステージへと進むべきサインかもしれない。
ブランドを感覚で語るのではなく、経営の言語に翻訳し、期待値資産へと進化させる——その転換点に、今まさに多くの企業が立っている。デロイト トーマツは「ブランドを経営の言語に翻訳するパートナー」として、企業の真の価値を可視化し、持続的な価値向上に伴走していく。
合同会社デロイト トーマツ Design & Brandチーム ディレクター 額田康利