過去2回のブログで、時宜を得たトピックとしてGoogleの量子チップ「Willow」に関する考察を行ったが、今回より、中性原子方式、及び光方式を対象に、ハードウェアの動作原理や使用される機器・モジュール等の機能について、概要をお伝えできればと考えている。
どの方式がどのような特徴、アドバンテージを持っているのか、疑問を持たれている方々にとって、少しでも有用な情報となれば幸いである。
量子コンピューティングの計算単位である「量子ビット」には、様々な実装方式があり、その1つが「中性原子方式」である。原子をレーザー冷却することから、「冷却原子方式」とも呼ばれる。
中性原子方式では下図のように、
原子の基底状態を「量子ビットの値:0」
原子の励起状態を「量子ビットの値:1」
として利用する。
(なお、下図の|0〉、|1〉のかっこの表記は、「ケットベクトル」と呼ばれるもので、それぞれ量子状態0、及び1を意味している。)
基本的には、取り扱う原子の数=量子ビットの数となるため、中性原子方式の大規模化は、捕捉・制御できる原子をいかに増やせるかにかかっている。
図1:ルビジウム原子の「量子ビット」としての実装イメージ(QuEra)(1)
超伝導方式やシリコンスピン量子方式において実装される「人工的な量子ビット」とは異なり、原子は「Natural Qubit」と位置づけられる。
「自然界に存在する電気的に中性な原子」を利用することが、中性原子方式の特性に大きく影響しているが、超伝導方式と対比する形で、これらをまとめてみる。
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超伝導方式 |
中性原子方式 |
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量子ビットの実装手段 |
ジョセフソン接合と呼ばれる特殊な構造を利用した超伝導量子ビット |
原子(図1のルビジウムやイッテルビウムなど) |
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主な特徴 |
半導体・集積回路技術の適用が可能なため、集積化に有利 |
原子の極めて高い均一性により、量子計算の精度が安定 |
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動作環境 |
量子ビットチップ及び周辺部品が、希釈冷凍機による極低温環境に格納される必要 |
ハードウェア全体が室温で動作 |
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主要ハードウェアメーカー例(順不同) |
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(注)上表では、概要を示すための主要情報に限定
例えば下記の2社は、本格商用化に向けて、「論理量子ビット」と呼ばれる、計算上のエラーに対する耐性を備えた量子ビットの開発も着実に進めており、他方式も含めた開発競争がますます熾烈になっている。
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Atom Computing |
Microsoft Quantum等との協業による実証(2025年6月公開論文)1
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QuEra |
ハードウェア開発のロードマップ2
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量子コンピュータのいずれの方式においても、量子計算の基本的なステップは同一であり、以下の3つの領域から構成される。
中性原子方式では、波長の異なる複数のレーザー等を使って、「量子ビットとしての原子」を初期化・操作する。以下、使用される機器・モジュールの位置づけを踏まえつつ、中性原子方式による量子計算の概要を示す。
図2:中性原子方式のハードウェア基本構成(2020年:ハーバード大学等による実証)(2)
(注)下表は、図2に即した内容としているが、企業や研究機関等に依らず、基本的な内容は中性原子方式ハードウェア共通である。
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計算ステップ |
処理概要及び使用機器・モジュール3 |
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初期化 |
【原子の配置】
【再配置】
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量子ビットの操作 |
(初期化後、)実行する量子アルゴリズムに従い、操作に応じた波長のレーザーを用いて、原子の状態を変化させる。 【1つの原子に対する操作(1量子ビットゲート)】
【2つの原子に対する操作(2量子ビットゲート)】
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量子状態の読み出し(測定) |
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図3:量子状態(計算結果)の読み出し(Pasqal)(3)
下図のように、原子は、レーザーによって生じるポテンシャルエネルギーの最も低いところ(光が強い領域)に捕捉される。
光の強度が強いほどポテンシャルエネルギーは小さくなるため、レーザー出力の調整や集光等によって、光の強度が強いところをうまく作ることができれば、原子を捕捉する位置を制御できることになる。
(厳密には、原子によるレーザー光の吸収放出過程等、原子の制御において考慮すべき様々な要素が存在する。)
上記は一例に過ぎないものの、このように中性原子方式では、レーザーによる原子の制御が、量子計算の根幹を担っている。
図4:レーザーによる原子の捕捉(Atom Computing)(4)
次回は、原子種による特性の違いやハードウェア大規模化に向けた開発方向性等、中性原子方式ならではのトピックについて詳しく見ていく。
(脚注)
1.Bernstein-Vaziraniアルゴリズム:従来型コンピューティングに対する優位性(高速性)を有する量子アルゴリズムの1つ
2.原子内の電子が、原子核から遠く離れた「リュードベリ軌道」と呼ばれる電子軌道にある状態
(冷却原子型・量子シミュレータで原子の「電子状態」と「運動状態」の間の量子もつれを観測することに成功(大森賢治グループら) - お知らせ | 分子科学研究所より引用)
扇 孝一郎/Ogi Koichiro
合同会社デロイト トーマツ
コンサルティング / 量子技術研究リード
外資系大手IT企業等を経て現職。量子技術の調査・活用戦略の策定からスタートアップへの投資検討支援まで、広範なコンサルティングサービスを提供。国内量子産業の拡大や経済安全保障の観点から、量子サプライチェーンの構築にも取り組んでいる。
太田 伸彦/Ota Nobuhiko
合同会社デロイト トーマツ
コンサルティング / シニアコンサルタント
国内大手素材メーカーでの研究、製造技術開発職を経て現職。化学系の製造業を中心に調査・戦略策定、オペレーション改革・DXプロジェクトに従事。量子技術領域では、ハードウェアサプライチェーン調査やユースケース調査に従事。
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。