前回の「中性原子方式ハードウェアの主な特徴や動作原理の概要」に続き、今回は、使用される原子種の特徴や、ハードウェア大規模化(量子ビットの集積とこれによる大規模演算の実現)に向けた主な課題や解決の方向性を解説する。
前回ブログでは、ルビジウムやイッテルビウムなどの原子が、量子ビットとして使用されることを説明したが、より体系的に整理すると、主としてアルカリ原子(ルビジウム、セシウム)及びアルカリ土類(様)原子注1(ストロンチウム、イッテルビウム)が使用される。
下記の通り、アルカリ原子、アルカリ土類(様)原子それぞれにメリットや制約等があり、原子種の違いによって、一概にハードウェア性能や大規模化の可能性などが確定するものではない。主要各社が、どのような開発方針の下、どの原子種を使用してハードウェア開発を進めていくのか、引き続き注視する必要があると考える。
図1:使用する原子種に由来するハードウェアの特徴注2
(参考:分子科学研究所 富田 隆文先生の資料1、京都大学プレスリリース2、各種公開情報より)
誤り耐性型量子コンピュータ(fault-tolerant quantum computer:FTQC)の実現には、方式を問わず、一般に100万物理量子ビット程度、あるいはそれ以上の量子ビット数が必要とされる4, 5。また中間のマイルストーンとして、1万程度の物理量子ビットを実装したハードウェアの開発が鋭意進められている3, 4。
以下、中性原子方式における中規模(1万物理量子ビット程度)、及び大規模(100万物理量子ビット程度、あるいはそれ以上)ハードウェアの実現に向けた、主な課題や解決の方向性をまとめてみたい。
現行の中性原子方式量子コンピュータの多くは、「光ピンセット注3」と呼ばれる、微細径のレーザー光を使用して原子を捕捉している。この光ピンセットを配列させることで、捕捉した原子を所望の位置に配列させている(図2)。
図2:光ピンセット配列のイメージ(分子科学研究所 富田 隆文先生の資料より)(1)
前回ブログでも言及したように、基本的には、捕捉した原子の数が物理量子ビット数となることから、ハードウェア大規模化に向けては「捕捉する原子数を増やすべく、光ピンセット配列をいかに拡大できるか」が要諦となる。また捕捉した原子を失わないための仕組みも不可欠だ。
すなわち、ハードウェアの大規模化に向けては、主として以下2点が重要な要件となる。
① 光ピンセット配列の大規模化
② 捕捉した原子の長寿命化
例えばカリフォルニア工科大学では、下表の方向性にて約6,100原子(セシウム)の捕捉に成功している(2025年掲載の論文6にて報告)。
実用レベルの大規模量子コンピュータを実現するためには、中規模ハードウェア向けとは異なる施策も必要となる。例えば、光ピンセットを使用して100万原子を捕捉するには極めて大きなレーザー出力が必要になるが、レーザー電力の制約等により、前述の取り組みの延長線上では実現が難しい7, 8。
このような状況において、100万原子、あるいはそれ以上の原子を捕捉するために、主として以下の2つの取り組みが進められている2, 3。
また、光ピンセット配列に関しては、人工物質の1つである「メタサーフェス」の適用も検討されている13など、ハードウェア大規模化・高性能化に向けた、様々な研究開発が進められている。
以上、前回のハードウェア概要説明に続いて、中性原子方式で使用される原子種の詳細やハードウェア大規模化の方向性についてまとめてみた。
次回は、中性原子方式を題材に「量子コンピュータの計算プロセス(原子がどのように変化することで、どのような計算結果を得られるのか)」について解説したい。
(参考)
(引用)
(1) KEK研究会_富田_配布用(P. 21を引用)
(2) 官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)(P. 3の一部を引用)
(脚注)
注1. イッテルビウムはランタノイドでありアルカリ土類原子ではないものの、最外殻に2電子を有するなどアルカリ土類原子と類似した性質を有するため、「アルカリ土類様原子」と称される
注2. 電子シェルビング法:基底状態の原子やイオンのみを、蛍光を発しない準安定状態に遷移させることによって、蛍光の有無で基底状態と励起状態を区別する手法
(準安定状態に遷移したために蛍光を発しない):基底状態(|0〉)
(準安定状態に遷移せず、蛍光を発する):励起状態(|1〉)
注3. 光ピンセット:レーザー光を集光することで、焦点付近に微小な物体を捕捉する技術(光で回る液晶液滴 | 九州大学 理学研究院 理学府 理学部より引用)
注4. 光格子:レーザーで格子状の枠をつくり、そこに光と相互作用を起こす原子を捉える技術(時を再定義する時計 100億年に1秒の誤差を実現した光格子時計より引用)
扇 孝一郎/Ogi Koichiro
合同会社デロイト トーマツ
コンサルティング / 量子技術研究リード
外資系大手IT企業等を経て現職。量子技術の調査・活用戦略の策定からスタートアップへの投資検討支援まで、広範なコンサルティングサービスを提供。国内量子産業の拡大や経済安全保障の観点から、量子サプライチェーンの構築にも取り組んでいる。
太田 伸彦/Ota Nobuhiko
合同会社デロイト トーマツ
コンサルティング / シニアコンサルタント
国内大手素材メーカーでの研究、製造技術開発職を経て現職。化学系の製造業を中心に調査・戦略策定、オペレーション改革・DXプロジェクトに従事。量子技術領域では、ハードウェアサプライチェーン調査やユースケース調査に従事。