戦後の日本では、経済成長が企業や産業の発展を促すと同時に、人々の働き方や仕事に求められる価値も大きく変えてきました。そして今、AIやデジタル技術の進展により、私たちは再び社会の大きな転換点に立っています。過去の変化の中でどのような課題が生まれ、それをどう乗り越えてきたのかをたどることは、現代の社会課題を考える上でも重要な示唆を与えてくれます。本稿では、高度経済成長期とAI時代と言われる「今」を重ね合わせながら、変化の中で生まれる社会課題にどう向き合うべきかを考察します。
戦後の日本は、1950年代後半から1970年代初頭にかけて高度経済成長を遂げ、実質GDPの拡大、企業規模の急拡大、産業構造の変化などを通じて、社会の姿を大きく変えてきました。製造業を中心とする産業の発展は、多くの人々の働き方にも影響を与え、家業や個人事業を中心とする形から、「組織に所属して働く」ことを前提とする形へと移っていきました。企業は多くの従業員、取引先、金融機関、株主、消費者と関わる存在となり、その活動は一企業の内部にとどまらず、社会全体に影響を及ぼすものになっていきます。
企業活動が大規模化・複雑化するほど、投資家や金融機関、取引先、そして社会は、企業が公表する財務情報や事業情報をもとに意思決定するようになります。ところが、その情報が実態を正しく表していなければ、市場や社会の判断そのものが歪められてしまいます。企業の粉飾決算や不適切な会計処理が発覚した場合、単なる一企業の不祥事にとどまらず、資本市場全体への信頼を揺るがす社会課題となります。
その象徴的な事例が、2000年初頭に発覚した米国の大規模な粉飾決算事件でした。問題となった企業は、エネルギー取引やIT関連ビジネスで急成長し、かつては米国を代表する革新的企業の一つと見られていました。しかし実際には、特別目的事業体(SPE)を用いて損失や負債を簿外に移し、見かけ上の利益を大きく見せるなど、複雑な仕組みを通じて企業実態を分かりにくくしていました。企業の成長性や将来性を示すはずの数字が、投資家や従業員、社会を誤った判断へ導くものになっていたのです。さらに、監査を担っていた大手会計事務所も、独立した立場から十分に歯止めをかけられなかったことが問題視され解体にもつながりました。
この事件は、企業情報を信頼できるものとして支える仕組みがいかに重要であるかを世界に突きつけました。企業が発信する情報は、経営者が自由に語れば足りるものではありません。その情報が事実に基づき、公正に作成され、外部の独立した専門家によって検証されているからこそ、投資家や社会は安心して意思決定を行うことができます。企業活動が複雑になればなるほど、「企業が発信する情報を誰が信頼できるものとして保証するのか」という問いは、より重みを増していくのです。
これをきっかけに日本においても、企業規模の拡大と資本市場の発展に伴い、同じ課題が強く意識されるようになりました。高度経済成長は、豊かさや利便性をもたらした一方で、企業活動を社会がどう信頼するのかという新たな問いも生み出します。
この時代の経済成長が生んだ大きな社会課題の一つは、「信頼をいかに支えるか」でもあったのです。
この課題に対し、監査業務に携わる先人たちは個人の力量に頼るのではなく、組織として新しい仕組みをつくることで応えようとしました。その中心にいたのが、日本初の本格的監査法人の設立を主導した公認会計士、等松農夫蔵氏です。
等松氏を筆頭に1968年に設立された等松・青木監査法人は、東京、名古屋、京都、大阪、福岡の5拠点を擁する日本初の全国規模の本格的監査法人であり、「一人の名人に依存する監査」から「組織として品質を保証する監査」への転換点となりました。設立後は、国内に前例のない中で外資系会計事務所のマニュアルを参照しながら監査マニュアルを整備し、監査手続や報告書の統一、審理制度の確立を進めるなど、「組織全体で同じ品質を提供するための基盤づくり」を進めていきました。
また、等松氏が目指していたのは国内だけで完結する監査法人ではありませんでした。日本の監査制度が国際的に後れを取っていることに強い危機感を持ち、組織的監査の確立と同時に国際化の必要性を訴えていました。創立時の基本構想には、「国内的にも、国際的にも、信頼度の高い監査法人を造り上げる」と明記されており、世界に通用する存在を最初から志していたことが分かります。実際、日本企業の海外進出や海外市場からの資金調達が進む中で、海外上場などに対応できる監査体制の必要性は高まっていました。これに応えるため、等松氏は「国際業務の人材確保」や「海外会計事務所との連携」を進め、国際的に通用する監査体制の構築に取り組みました。その志は後に、国際組織名に「Tohmatsu」の名が刻まれるという歴史的な形で結実します。
先人たちは、時代ごとに変わる社会課題に対し、「多様な専門性」を束ねながら一つひとつ乗り越え、成長してきたのです。
現代社会もまた、大きな転換点にあります。気候変動、人材不足、地政学リスクなど、社会課題そのものが複雑化する中で、特に顕著なのがAIやデジタル技術の急速な進化です。テクノロジーの導入は単なる効率化にとどまらず、教育、情報セキュリティ、法規制、知的財産、人権、ガバナンスといった多様な論点を同時に生み出します。
情報がかつてないスピードで生成・流通する一方で、「何が正しいのか」「誰が責任を持つのか」「何を信頼すべきか」という問いは、むしろ以前より複雑になっています。AIやデジタル技術によって業務のあり方は大きく変わっていきますが、だからこそ、その利用が人間や社会にどのような影響を与えるのかを見極め、公平性、透明性、説明責任といった観点から、信頼できる形で活用していくことが求められます。テクノロジーが進化するほど、社会や人々が「信頼」を求めるという本質は、今も昔も変わっていないのです。
だからこそ、これからの時代に求められるのは、単一の専門性だけで完結する働き方ではありません。異なる専門性を持つ人々と協働し、それぞれの知見を結びつけながら、新しい解決策を構想していく力が重要になります。
等松氏が「監査法人をつくること」そのものを目的としたのではなく、時代が必要とする信頼の仕組みを構想し、多くの専門家とともに形にしてきたように、私たちもまた、変化の中で生まれる課題に向き合い、多様な専門性を結びつけながら、自らが社会に価値を生み出し、信頼を届けていくために何ができるのか、問い続けることが大切なのかもしれません。