AIが消費者に代わって商品を選び、購買を完了させる。そんな未来は、すでに現実のものとなりつつある。「エージェンティック・コマース」という概念が確実に企業の競争環境を塗り替えようとしている時代、日本のエンタープライズ企業はどう立ち向かうべきか。
Shopifyのエンタープライズ戦略と技術ビジョンを統括するField CTOのエドゥアルド・フリアス氏の来日にあわせ、マーケティング・コマース領域をリードするデロイト トーマツ パートナー 原 裕之との対談が実現した。
テーマは「経営課題を解決する次世代プラットフォーム戦略」。グローバルの最前線から見た変化と、日本市場で積み上げてきた知見が交差する二人の議論から、日本のエンタープライズ企業が今まさに直面する本質的な問いが浮かび上がってくる。
デロイト トーマツ パートナー 原 裕之(左) Shopify Field CTO エドゥアルド・フリアス氏(右)
—— AIが購買を代行する「エージェンティック・コマース」が現実のものとなりつつあります。この変化は、企業にとって経営上のリスクなのか、それともチャンスなのか、お考えをお聞かせください。
フリアス:私はテクノロジストとして30年以上この業界に身を置いてきましたが、今が最も波乱に満ちた、そしてエキサイティングな転換点にあると実感しています。
従来、コマースにおける企業のミッションは「Webサイトやモバイルアプリなどのデジタルチャネルを構築すること」でした。しかし、その前提は根本から覆ろうとしています。もはや特定のインターフェースの構築自体は重要ではありません。実店舗、Webサイト、あるいはAIのコマースエージェントなど、消費者がどの接点を利用するかにかかわらず、柔軟にビジネスを適応させていく必要があります。これは、企業が自社のビジネスモデルを根本から見直すべきタイミングが来たことを意味します。
ここで最も強調しておきたいのは、AIは決してリスクではないということです。真のリスクは、組織の惰性です。断片化されたデータ、統合されていないレガシーシステム、そして遅い意思決定。こうした状況を放置している企業は、どれほど優れたAIを導入しても助けにはなりません。変わろうとしない企業体質こそが、本当のリスクなのです。
Shopify Field CTO エドゥアルド・フリアス氏
原:まさに、それは私たちが日本のコンサルティングの最前線で直面している課題そのものです。このエージェンティック・コマースへの移行は、消費者サイドと事業者サイドの双方に巨大なパラダイムシフトをもたらします。
消費者サイドで見れば、日用品など利便性が重視される商材は、AIエージェントによる購買の自動化・最適化へと一気に加速するでしょう。一方で、高級品や嗜好品など「購買体験そのものを楽しむ領域」は、すぐにすべてがAIに置き換わるわけではなく、ブランドの世界観の表現、ロイヤルティプログラム、OMO(Online Merges with Offline)による顧客接点の統合などが引き続き重要になります。
私が特に強調したいのは、事業者サイドにおける経営へのインパクトの大きさです。「AIを活用すれば人件費などのオペレーションコストが下がる」と期待されがちですが、現実はもっと複雑です。AIに商品を正しく認識させるための商品マスターの構造化、メタデータの整備、システムアーキテクチャの整備など、先行投資としての初期コストは確実にかかります。さらに、トランザクションの増加に伴うクラウドやサーバーのインフラコストも上昇する可能性があります。
経営層は、人件費削減という視点だけではなく、こうした新たなコスト構造も含めたビジネスランドスケープ全体を見渡し、AIをどう戦略に組み込むかを意思決定しなければならないという、極めて高度な舵取りが求められるフェーズに入っています。
デロイト トーマツ パートナー 原 裕之
——消費者が自分で検索・比較する時代から、AIエージェントが最適な商品を選ぶ時代へ。そうなると、ブランディングやマーケティングへの従来型の投資は価値を失うのでしょうか。
フリアス:まったく逆です。ブランド戦略とマーケティングは、かつてないほど重要性を増すでしょう。
米国ではすでにカスタマージャーニーが大きく変化しています。かつては「検索エンジンで検索→サイトを訪問→カートに入れる→購入」という直線的な流れでしたが、現在はZ世代の2人に1人が商品リサーチにAIを使っています。AIに「自分に最適なスーツを提案して」と尋ね、価格を比較し、購買意思決定の大部分をAI上で完結させてから、最終確認としてブランドサイトを訪れるというジャーニーへと変化しているのです。
このAI主導の世界で選ばれる決定的な基準となるのが「トラストシグナル(信頼のシグナル)」です。ユーザーレビュー、ブログなど、ブランド戦略やマーケティング活動で長年築き上げてきた本質的な信頼こそが、AIがその商品をレコメンドする最大の理由になります。
ここで鍵を握るのは、商品データがアルゴリズムに「正しく理解される」状態にあるかどうかです。人間は多少の情報不足には目をつぶります。商品説明が不完全でも、写真が1枚足りなくても、文脈で補完して判断してくれます。しかしアルゴリズムは違います。データの矛盾や不一致を見つけた瞬間、容赦なくそのブランドを選択肢から除外します。データが適切に構造化されていなければ、AIの世界においては「存在しない」ことと同じになってしまうのです。
だからこそShopifyは、「Universal Commerce Protocol(UCP)」のような標準化ツールを提供し、ブランドがAI空間でも物理的な店舗と同じくらい強力な存在感を発揮し、競争優位性を確立できるよう支援しているのです。
原:日本企業がAIに選ばれるためには、まさにフリアスさんが指摘した競争優位性を確立するためのデータ整備が最大の壁であり、かつ最優先で取り組むべき経営課題になります。
AIのポテンシャルを最大限に引き出すためにはデータが不可欠ですが、日本のエンタープライズ企業の多くは、システムがサイロ化しており、PIM(商品情報管理)、DAM(デジタルアセット管理)、CMS(コンテンツ管理システム)が分断され、データが連携・同期されていません。
まずは、このデータ基盤を根本から立て直し、AIに対して「自社商品をどう推薦させるか」を教え込むためのデータを集約・整備することが、今後の重要なテーマになると考えています。
――複雑なレガシーシステムに悩まされている日本のエンタープライズ企業が、AI時代に向けて、今日から着手すべき「最初の一手」は何でしょうか?
フリアス:まず強調しておきたいのは、日本企業が持つ強みです。品質に対するこだわり、信頼性の高さ、細部への気配り、そしてオペレーションにおける高度なマネジメント能力など、世界的に見ても極めて特異で強力な競争優位性を持っています。これらは、エージェンティック・コマースの時代において、さらに輝きを増す要素です。
しかし、そのポテンシャルを最大限に活かすための「最初の一手」として、あえて世間のトレンドに逆らう提言をします。それは「AIの安易なパイロット導入(試験導入)」をやめることです。
「AIのパイロット導入」は聞こえが良く、一見素晴らしいアイデアに思えます。しかし現実には、多くのエンタープライズ企業が、組織のサイロ化によって部門間の連携が取れず、商品・在庫・価格に関するデータが散在しているという「複雑すぎる環境」に陥っています。先ほどの原さんのお話にもあったように、分断されたシステムの上に、どれほど高度なAIを実装しても、真のビジネス価値は生み出せません。
真に着手すべきは、「システム基盤の簡素化(シンプル化)と統合」です。そして、基盤が整ったその先で「自社が最も深刻な痛み(ペインポイント)を抱えている領域」にAIを適用する。例えば、在庫管理が挙げられます。私たちが支援しているイギリスの「World of Books」は、Shopify上で2,000万SKUもの在庫をリアルタイムで統合管理しています。エンタープライズ企業が直面する具体的な課題を解決してこそ、AIは単なるバズワードから実用へと変わり、真のビジネス価値を発揮するのです。
原:フリアスさんの指摘する基盤のシンプル化と統合は、まさに日本企業にとって最大の急所であり、真正面から乗り越えるべき壁です。
日本企業はグローバルの潮流である「Fit to Standard(標準機能への業務適合)」を目指そうとするものの、要件定義などの上流工程で難航し、結果的に過度にカスタマイズをしてしまうケースが多々あります。過去に巨大なシステムを導入したものの、現場に定着せず投資対効果を生み出せなかったという苦い経験もあります。
現状、日本のECサイトやその周辺の会員基盤などはまだ老朽化したシステムが残っていることも多く、この状態を放置すれば、AI時代に求められる顧客体験を提供できず、ブランドとしての価値を毀損しかねません。また、リアルタイムでの在庫情報の同期やダイナミックプライシングをビジネスの武器として高度に実装できている企業も、日本ではまだ稀です。
だからこそ、日本企業の「最初の一手」は、ECフロントの刷新にとどまらず、周辺システムのインテグレーションを含めた包括的なリプレイスをどう成功させるかにかかっています。業務の複雑性が高いからこそ、デロイト トーマツが持つ上流から伴走する総合力が活きてくると考えています。
—— Shopifyというテクノロジープラットフォームと、デロイト トーマツが協業することで、日本企業の変革にどのような価値をもたらすと考えていますか?
フリアス:デロイト トーマツとはシステム導入という枠にとどまらず、コマースのあり方を共に根本から見直し、再発明していく存在として協業したいと考えています。
私たちは、Shopifyを単なるEC構築ツールではなく、「コマースのオペレーティングシステム(OS)」だと定義しています。この強力なOSの上に、デロイト トーマツが培ってきた日本市場への深い知見、チェンジマネジメント(組織変革)の専門性、そして日本のエンタープライズ企業との強固な信頼関係が融合すれば、提供価値を最大化できると考えています。
企業の皆様には、コマースを「単なるアプリケーション」としてではなく、企業の成長・俊敏性・イノベーションを牽引する戦略的な事業基盤として捉え直していただきたい。それを促していくことこそが、我々の共通のミッションだと考えています。
原:私たちも変革のパートナーとして、クライアントに伴走していきたいと考えています。私たちの強みは、コンサルティングの立場から企業の本質的な課題を浮き彫りにし、成長戦略やPLへのインパクトを描き出せることです。
コマースはもはやビジネスの一機能ではなく、これからの企業成長の中核を担う存在になります。そのコアの部分を作り上げ、周辺のシステム、組織、オペレーション、そして事業ストラテジー全体を含んだ包括的な事業変革として提供していくことが我々の使命です。
さらに言えば、これは日本国内だけの話ではありません。日本のエンタープライズ企業にとって、もはやグローバル市場での戦いは不可避です。Shopifyもデロイト トーマツも、世界規模で強力なネットワークを有しています。グローバル全体でプラットフォームをどう最適に構築するかという視点も含めて、統合的に取り組んでいくことで、非常に大きなビジネス価値が創出できると確信しています。