PMIや経営統合の現場では、システムや会計基準などの「ハード面」の統合に注力するあまり、関係者の「こころ」や共通の未来観といった「ソフト面」が置き去りにされがちです。その結果、統合後の社員の一体感が醸成されず、当初期待していたシナジーや組織運営が実現しないケースも少なくありません。こうした課題を解決するために、「同じ未来を見つめる」シナリオ・プランニングと、「同じ方向を目指す」インターナルブランディングの重要性と具体的なアプローチについて、事例を交えながら解説します。
「PMIのプロセスを終えたのに、統合後の両社の社員が当事者意識を持てていない」、「グループ経営を推進する過程で、統合的な動きに拍車がかからない」-皆様の企業ではこのようなご経験はないだろうか。
M&A直後のPMIや経営統合は企業価値向上のためのキーアクションであり、その必要性や重要性は十分に認識されてきた。しかし実際には、「思い描いていたように進まない」という状況が多々あり、結果として当初見込んでいた組織運営やシナジーの発現ができず、M&Aやグループ経営の失敗に繋がることが少なくない。
その理由にはどのようなものがあるのだろうか。理由の一つとして、PMIや経営統合において、関連当事者の「こころ」を置き去りにしてしまうことが挙げられるのではないか。これは経営トップや担当者が、ハード面(ITシステム、会計基準、KPI等)の統合だけに集中してしまい、組織運営のうえで本来最も重要な点である「関係当事者全員で『同じ未来を見つめ、同じ方向を目指す』といった視点が欠如した状態、つまりソフト面の統合が不十分な状態となっている」ということである。これではうまく進まないことも納得いただけるだろう。
本稿では、このような課題認識のもと、PMIや経営統合の成功のために必要となるソフト面へのアプローチ方法について、①同じ未来を見つめ、②同じ方向を目指す、の2点について解説を加える。
PMIや経営統合を推進するうえでは、関連当事者が同じ前提に立てているか、すなわち「同じ未来」を見ているか、がポイントになる。ここでは、同じ未来を見るための手法であるシナリオ・プランニングを活用することで、進むべき方向(What)の背景にあるもの(Why)の共通認識をつくることが可能となることについて解説を進める。
2つの経営統合の事例で説明しよう。
A社とB社の統合の例では、両社の間には「グローバル市場での成長」という共通認識が元々あったため、それを基に統合を進めていった。しかし統合を進める中で、「小型製品重視」とするか「大型製品重視」とするか、という「より粒度の細かな点での未来観の違い」が露見し、資源配分で対立したことで、統合がうまく進まなかった。
一方、C社とD社の統合の例では、前述の例と同様に「グローバル市場での成長」という共通認識がある状態ではあったが、シナリオ・プランニングを用いてエリア別にどの市場セグメントが成長するのかといった粒度の細かな未来観の議論を実施した。その結果として、「どのような前提でグローバル戦略を展開しようとしているのか」という点について、両社の強みや協力すべきポイントの明確化を行うことができ、両社の戦略方向性や新たに創出すべき強みが定まったことで資源配分で対立することなく、統合がうまく進んだ。
M&A(そしてその後のPMI)や経営統合は、グループの組織力を高める有効な手段である。しかしその一方で、上記の事例のように両社の未来観の不一致に起因し、その関連当事者に「自身が所属する・関与するこの会社は、どこに向かっているのだろう」等の不安が募り、特にPMIや経営統合の作業主体となる従業員の「こころ」がばらばらになることで、一連の統合が思ったように進まない、という状況が発生しうる。
このような状況に対し、シナリオ・プランニングを用いて、同じ未来を見てモノの見方を揃えていくことで、関連当事者の「納得度・腹落ち感」が向上し、企業経営という難しい旅路における大きな道標の創出が可能となる。
シナリオ・プランニングはある特定の未来の確率を算出するような手法ではなく、不確実性に沿って、「複数の起こりうる未来(シナリオ)」を描き出し、確率に関わらず未来への準備を進める手法である。つまり、未来洞察に基づく戦略の策定が目的であるため、各シナリオの論理的納得性が高まった後には「客観的な外部環境」の議論から「自社を主語とした戦略」の議論に移り具体的な対応策を検討していく。このようにシナリオ・プランニングを活用すれば「想定する未来(Why)」と、「自社が採る戦略(What)」について論理的に議論しやすい状態を作ることができる。さらにその結果として得られる戦略的示唆も納得度・腹落ち感に基づいたものとなるため、特定の未来環境が到来した際の意思決定や戦略実行の担い手である従業員の行動もより迅速になりやすい。結果的に、全社で一体感を持った未来に向けた準備が可能となるのである。
PMIや経営統合後、シナリオ・プランニングを通じて関連当事者が同じ未来を見た後には、同じ方向を目指すことが重要であり、そのために「インターナルブランディング」の構築も重要である。
ブランドは消費者のマインドの中に存在するものと捉えられがちだが、組織内におけるブランドとは、組織内の価値観や行動指針を明確にし、社員がそのブランド価値を理解・体現することで、統合後の文化融合や一体感を生み出すことに繋がるものであるため、PMIや経営統合の文脈の中で、企業の根幹の想い・方針を整備し、ブランドとして構築することで、グループとしての強固な経営基盤の構築を行うことが可能である。
そしてインターナルブランディングと併せて、昨今重要視されているものがエンプロイヤーブランディング(Employer Branding)である。エンプロイヤーブランディングとは、企業や組織が雇用者(Employer)の立場から、従業員や求職者に対して「他の企業とは差別化された働く場所としての魅力(自社が提供できる価値)」を明確に示し、実現することで、求める人材の獲得や中⾧期的な従業員エンゲージメント向上などを目指す活動である。エンプロイヤーブランディングの基盤となるのは従業員への提供価値(Employee Value Proposition(EVP))であり、企業文化や価値観、職場環境、人事制度、報酬、福利厚生、キャリア形成の機会など、既存の従業員や将来的に雇用したい人材の視点に立った訴求要素を特定・言語化し、社内外に浸透させることが重要なポイントである。
インターナルブランディングと相互・循環的に好影響を与え合うことで、企業のブランド基盤が強化される。その結果、社員がブランド価値を理解し、誇りを持って働くようになるため、全社員が同じ方向を向いてPMIに取り組むことができ、成功裡に経営統合を進められる。
エンプロイヤーブランディングの実施においては、以下の観点が重要であり、これらを一気通貫で設計・実行することが成功の要諦となる。
冒頭で紹介した「PMIのプロセスを終えたのに、統合後の両社の社員が乗ってこない」、「グループ経営を推進する過程で、統合的な動きに拍車がかからない」といった課題の原因は、従業員をはじめとする関連当事者の「期待値づくり」が欠如していることが要因として挙げられる。
企業価値向上のためには、「利益づくり」と「期待値づくり」の両輪が必要であるが、多くの企業は「利益づくり」に注力する一方で、「期待値づくり」に取り組めていないことが多々ある。シナリオ・プランニングとインターナルブランディングの手法を用いることで「期待値づくり」を実現し、これらに基づき日々アクションを行うことでPMIや経営統合を効果的に推進することが可能となる。
不確実性がますます高まるこれからの時代において、M&Aおよびその後のPMIや経営統合は必要性・重要性が増すことが考えられるが、その目的が企業価値向上であれば、そのアクションの担い手の「期待値づくり」が重要であることは明白であり、シナリオ・プランニングやインターナルブランディングは、PMIや経営統合といった企業変革の導入部での活用に加え、企業変革のそのものの効果を最大化するためのツールとして活用がされている。
今回はシナリオ・プランニングやインターナルブランディングについて、事例や概要を基に取り上げたが、未来を洞察する際にどのような点を意識し具体的に何を見るべきかや、同じ方向を目指すためにどのような進め方をすべきか、という点は、状況に応じて異なるため、その都度カスタマイズとアップデートを行う必要がある。そのような場面に際し、当社がお役に立てそうなことがあれば、お気軽にお問合せいただければ幸いである。
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
Design & Brand シナリオ・プランニング シニアマネジャー 山田 貴裕
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。