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AIを実装に移す経営者は、Tech Trends 2026をどう読むのか

パナソニック ホールディングス グループCIO・近田英靖氏と考えるAI変革の現在地

AIはもはや、可能性を試すだけのテーマではない。デロイトの『Tech Trends 2026』が突きつけるのは、AIをどう試すかではなく、どう事業・業務・組織に埋め込むかという問いである。日本企業の経営層は、このレポートをどう読み、自社の変革にどう引き寄せるべきなのか。パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCIOの近田英靖氏と、デロイト トーマツの中川貴雄、武野淳、木下達也が議論を交わした。

Tech Trendsとは

Tech Trendsは、デロイトが毎年発行するテクノロジー領域のフラッグシップレポートである。グローバルでは17年目、日本では12回目を数え、今後1年半から2年の間に業界やビジネス、働き方を再構築し得るエマージングテクノロジーを選び抜き、企業への示唆を整理している。

日本版Tech Trendsの発行責任者であるデロイト トーマツの中川は、開口一番こう切り出した。「テクノロジートレンドというと、技術そのものの進化に目が行きがちです。でも、本当に大事なのは、それを企業価値にどうつなげるか。今回、近田さんに対談をお願いしたのは、技術の話だけでなく、企業経営・事業オペレーションの目線でテクノロジーを語っていただける方だからです」。 

合同会社デロイト トーマツ パートナー 中川 貴雄

合同会社デロイト トーマツ パートナー 中川 貴雄

対象は技術そのものではなく、技術が事業に及ぼすインパクトに置かれている。デロイトの社内専門家に加え、外部のテクノロジーリーダー、学術界、スタートアップなど幅広い情報源を踏まえ、CXO層が経営判断の土台として使えるよう設計されている。日本版はグローバル版の翻訳に加え、日本のコンサルタントによる見解(日本版Perspective)を収載している。

中川はさらに、Tech Trendsの読み方についてこう語る。「クラウドが出始めた頃も、『本当に大丈夫なのか』という懐疑的な議論がありました。今のAIにも様々な論点があり、全てのテーマにAIが関係している通りこの流れは止まらないため、いかに早く、どのように取り組むかが大事です。グローバルのトレンドを把握頂きつつ、日本の視点でどう適用していくかを考えるきっかけになればと思います」。

近田氏は、個人的な考えと前置きしたうえで、Tech Trendsを「未来予測のレポート」として読むことを勧めない。「明快な未来予測を求めて読むと、当たった、外れた、という読み物になってしまう。そうではなく、自分以外の代弁者として使うと面白い」と語る。経営会議や部門横断会議で、外部の整理を借りて自社の論点を浮かび上がらせる。Tech Trendsの真価は、未来を当てることではなく、自社の現在地を問い直す問いを得ることにある。 

パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCIO 近田 英靖氏

パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCIO 近田 英靖氏

2026年版が示す「実装の局面」

今年のTech Trends 2026の特徴は明確だ。昨年までの主題がAIの可能性探索とPoCだったとすれば、2026年版では「AIをいかに実ビジネスに移し、価値を出すか」が前面に出ている。フィジカルAI、Agentic AI、AIインフラ、AIネイティブなテクノロジー組織、AIセキュリティ。5つのテーマはいずれもAIを軸に展開され、技術の比較ではなく、AIをどう組織と業務に組み込むかが共通の問いとなっている。

昨年に続きTech Trendsの日本版発行と日本企業への解説に関わっているデロイト トーマツの武野は、レポートの位置づけをこう整理する。「グローバルで起きていることは、これまでも数年後に日本で同じ強度で起こってきました。昨年までは、生成AIで何ができるか、PoCをどう設計するかが議論の中心でしたが、今年は、AIを前提にビジネスをどう組み立て直すか――フェーズが明確に変わっています」。

合同会社デロイト トーマツ シニアマネジャー 武野 淳

合同会社デロイト トーマツ シニアマネジャー 武野 淳

近田氏は1995年に旧松下電器産業(現 パナソニック ホールディングス)に入社し、中国・シンガポール・欧州での海外経験を経て、グループITガバナンス、パナソニック インダストリーでのCIO、SCMや業務エンドツーエンド改革を担い、現在はグループCIOを務める。テクノロジーを技術単体ではなく事業価値とオペレーションの観点から捉えてきた経験が、対談の核となった。

AI以前に問われる「データドリブンではない」意思決定

5つのテーマと自身の問題意識がどこで重なるかを問われ、近田氏はまず意思決定文化の話から始めた。

「データドリブンという言葉はよく使われますが、当社に限らず、日本企業の多くは、実は必ずしもデータドリブンとは言えない仕事の進め方をしているのではないでしょうか。たとえば稟議で何かを決めるとき、データを『自分が直感的に正しいと考えている結論を、周囲に納得してもらうための材料』として使いがちです。結論が将来に亘って正しければそれで問題はありません。しかし、世の中の状況、つまりデータが変わった時、このような『データドリブンではない意思決定』は判断を見直すことが難しくなる。

判断が人にひもづくと、前提条件が変わっても判断を見直しにくくなる。「『Aさんが言ったから』『その上司のBさんも信じたから』『Cさんも信じたから』『最後は役員のDさんが決めたから』という形で意思決定が積み上がっていく。ところが前提条件が変わったとき、Dさんに聞いても『Cさんを信じて決めた』、Cさんに聞いても『Bさんを』、と遡るうちに、原点を本当に考えていた人にはたどり着けない。これが判断の質を下げ、スピードを失わせる大きな理由になっている。更にはAIエージェント時代にも対応できない」。

中川は、IMD(国際経営開発研究所)が発表した世界デジタル競争力ランキングにおいて、日本のビジネスアジリティ(企業の機敏性)が67か国中、下位に位置付けられている*事実に触れ、「AIベースで業務をリビルドしていくなかで、こうした属人的な意思決定の構造を排除せざるを得ないように仕向けないと、変わらないかもしれない」と応じた。

* IMD (INTERNATIONAL INSTITUTE FOR MANAGEMENT DEVELOPMENT). "WORLD DIGITAL COMPETITIVENESS RANKING 2025".
https://imd.widen.net/content/xclarczvwr/pdf/wdcr_report_2025.pdf,(参照 2026年5月29日)

対談する近田英靖氏と武野淳

この問題意識はTech Trends 2026の「人間の作業者のために設計されたプロセスは、エージェントには機能しない」という論点と重なる。Agentic AIを本番利用している組織はまだ限られ、レガシー統合、データアーキテクチャー、ガバナンスの不足が壁になっている。

人の仕事は奪われるのか――問うべきは、労働力の再設計

AIのインパクトについて、近田氏は過度な悲観にも過度な楽観にも寄せていない。

「人が担っている労働力をAIに置き換えるというのは、石を人手で運んでいたのを、重機で運ぶようになったのと同じ話です。一定のルールに沿って情報を集め、正確に計算して受け渡す、といった仕事は、人よりもAIやロボティクスが得意とすることであり自然と置き換わっていくでしょう。けれど、重機に置き換わった後も新しい役割が生まれたように、高度な仕事と役割が立ち上がっていく」。

中川もこれに重ねる。「古い例えですがタイプライターという仕事がワープロに、CDレンタル屋がストリーミングに変わってきたように、テクノロジーを起点にビジネスや職業のあり方は変わってきた。今度はワークフォースを人だけで捉えるのではなく、AIとセットで考えなければなりません」。このため、CIOとCHROの接点は必然的に広がっていく。AIを使いこなす人をどう評価するか、AIによって生まれた余剰生産性をどこへ再配分するか。これらはITと人事が連携して解いていく問いになっている。

CIOの役割について語る近田英靖氏

近田氏は、CIOの役割そのものの拡張も明確に意識している。「昔のCIOは『情報システムの親玉』のような位置づけでした。けれどITシステムは、結局のところ、決算、売上、ものづくりといった社内業務を実現するための仕組みです。そこにAIが入ってくるのなら、CIOはITの安定運用にとどまらず、事業・業務・データをつなぎ、変革を実装する役割を担っていく必要がある。これがあるべき姿だと思っています」。

「名もなき業務」が、AI実装の入口になる

では、企業は何から手を付けるべきか。近田氏が示したのが「名もなき業務」の比喩だった。

「料理や洗濯といった『名前のついた家事』の周りには、トイレットペーパーを補充する、ゴミ袋を出す、といった、誰も家事として強く意識していない『名もなき家事』がたくさんある。当社はまさにこの家事を解決する商品、サービスを開発してきました。実は企業の業務もまったく同じです」。受発注や請求処理といった名のある業務の周辺にも、誰も業務として認識していない作業が大量に存在する。

「たとえばPDFで請求書が届くと、それを正式な処理に入れる前にいったんExcelシートに転記して、誰かがチェックする。一つひとつは数分の作業であり1か月でも30分や40分の小さな業務です。でも、こうした『名もなき業務』を洗い出して会社全体で集計すると、どこの企業においても総工数の2割から3割を占めています」。近田氏は実際にパナソニック インダストリー時代の棚卸しでも「業務として千件を超える件数」があったと語る。個々には小さく改善対象になりにくいが、束ねれば巨大な負荷であり、生成AIやエージェントの実装先として現実的だ。

武野はこの議論にAIの設計論を重ねた。「業務プロセスの再構築には、連続的なやり方と非連続のやり方があります。今までどおり人中心の業務にAIを差し込んで効率化するのが連続的なアプローチ。一方で、本当にリデザインしようとするなら、AIが自律的に動くことを前提に、どこを人がチェックするかという観点で考え直す必要があります。Tech Trends2026で、Agentic AIで成果創出する企業は、単一のペインポイントにAIを埋めるのではなく、エンドツーエンドでプロセスを再設計している、と指摘しています」。さらに、企業固有の文脈をAIに理解させる難しさを近田氏が補う。

「たとえば『納期回答率』という指標一つを取っても、お客様から要望された納期に対する回答率を指しているのか、ものづくり側として社内で合意した納期の遵守率を指しているのか、で意味がまったく変わります。同じ言葉でも、その会社の風土や前後の文脈によって中身が違う。AIがこれを取り違えると、誰もそのチェックができなくなってしまう」。AI導入に必要なのはデータ量だけではない。意味の統一、権限設計、ガバナンスの整備が並行して問われる。

勝負はモデルではなく、オペレーションで決まる

近田氏が強調したもう一つの軸が、オペレーションだった。「市場を見ることも、商品や技術を磨くことも、もちろん大切です。でも、最後はオペレーションです」。同じような市場で、同じような商品を作っている競合同士でも、収益性に差が出る。その大きな要因はオペレーションにある、というのが近田氏の見立てだ。

「組織が大きくなり分断されると、社長や経営メンバーから見たときに、不可思議なことがいろいろと起きます。代理店や販売会社、工場の組織ごとで在庫が積み上がる、別の国で同じような工程をやっている、社内で人事の取り合いが起きる。それぞれが違うベクトルで動いてしまうので、機能ごと・部門ごとの個別最適の積み上げが起こる」。

本来あるべき姿はその逆だ。マーケット、販売、工場、サプライチェーンが一体となって動き、経営の意思がデータに基づいて全体へつながっていく。そうした仕組みがあって初めて、商品や技術の強みも収益性へと結びつく――というのが、近田氏のオペレーション観である。

中川はその発言を受け、こう整理した。「Tech Trends 2026第4章『大いなる再構築』も、CIOがインフラの所有者から戦略的リーダー、AIエバンジェリスト、オーケストレーターへと役割を拡張していく姿を描いています。基幹システムの安定運用はCIOにとって引き続き重要な前提です。ただし、AI時代に問われるのは、その前提の上で、業務・データ・組織を横断し、変革を実装へ進める力です」。

CIOは「できない理由」ではなく、「一緒に変える理由」を語る

パナソニック ホールディングスでは、2021年からグループ横断のPX(Panasonic Transformation)を進めている。社員が公募で登録し、現場の課題解決を支援する『PXアンバサダー』や、成功事例を共有する『現場PXコンテスト』は、変革を制度や指示だけで終わらせず、現場が参加したくなるものに変えるための仕組みである。

このPXをめぐり、パナソニック ホールディングスの変革を長年伴走してきたデロイト トーマツの木下が問いかけた。「PXが始まって以降、DXは目的でなく手段であり、業務プロセス変革やアジャイルな組織・風土カルチャー醸成による経営貢献を一貫して大事にされている。IT部門は、従来業務のデジタル化に加えて、事業部門と両輪で業務変革をサポートする推進役にITがいる、という構図に変わってきた印象があります。企業変革の推進役を担う、これからのIT部門のリーダーへ、メッセージはありますか」。

合同会社デロイト トーマツ ディレクター 木下 達也

合同会社デロイト トーマツ ディレクター 木下 達也

近田氏はこう答えた。「業務を変えます、プロセスを変えますと言うと、現場からは『すごく時間がかかるんじゃないか』『あのシステムにあれだけお金と時間を使ったのに、また同じことをやるのか』という反応が返ってきます。そこで『もっと簡単にできるからやろう』と提案しても、『では協力してくれるのか』『業務を標準化してほしい』と、お互いに押しつけ合う場面もある」。

生成AIがある今は、以前よりも小さく、速く、違うやり方で始められる可能性が広がっている。だからこそIT部門は、業務側に標準化を一方的に迫るのではなく、「一緒に変える」側に立つ必要がある。セキュリティや倫理のガードレールも、挑戦を止めるためではなく、挑戦できる状態をつくるためにある。「あれはできない」「これは危ない」と言うだけでは変革は進まない。「こうしたいなら、一緒に実現方法を考えましょう」と言えるかどうかが、AI時代のIT部門に問われている。

Tech Trendsを読むとは、自社の次の一手を言語化すること

意思決定はまだ人にひもづいていないか。名も無き業務は見えているか。オペレーションを変える覚悟はあるか。変革を定着させるPXのような仕組みを持てているか。

AIの勝負はもう始まっている。差がつくのはモデルの新しさだけではない。現場に埋もれた名も無き業務を見つけ、それをオペレーション再設計の起点にできるか。CIOが事業変革の推進役となり、ITとHRをまたいで変革を根づかせられるか。Tech Trends 2026を読むべき理由は、その変化を知るためだけではない。自社の次の一手を言語化するためである。

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