令和8(2026)年8月3日、内閣府主催の検討会は、「価値創造を加速する知財・無形資産投資・活用のガイダンス」を公表しました。本ガイダンスは、改訂コーポレートガバナンス・コードを踏まえ、知財・無形資産を企業価値向上につなげるための課題と方向性を示すものです。知財・無形資産を「中長期の成功のタネ」と位置付け、5つの主要ボトルネックと対応の方向性を整理するとともに、今後のガイドライン改訂への反映も予定されています。
令和8(2026)年8月3日、内閣府主催の「知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンスに関する検討会」は、「価値創造を加速する知財・無形資産投資・活用のガイダンス」(以下「本ガイダンス」という)を公表しました。本ガイダンスのポイントは、以下のとおりです。
本ガイダンスの背景には、日本経済がデフレ・コストカット型経済から賃上げと投資がけん引する成長型経済へ移行する中で、日本企業には中長期の成長力を創出・強化することがこれまで以上に求められているとの問題意識があります。日本成長戦略においても、企業の成長投資の質・量の向上、知財を戦略的に取得・活用する企業経営の推進、知財・無形資産の開示促進が重要な方向性とされています。また、CGCでは、知財・無形資産が成長投資の重要な柱と位置付けられています。
もっとも、多くの日本企業では、知財・無形資産の「創出・取得・強化・保護・収益化」に向けた戦略的取組が十分に進んでいないとされています。その背景には、知財・無形資産が経営の根幹に据えられていないという課題があります。本ガイダンスでは、CGC原則4-1 4の解釈指針を踏まえ、知財・無形資産が企業価値向上の源泉であることを前提に、その「創出・取得・強化・保護・収益化」に戦略的に取り組み、投資家等へ説明することが取締役会に求められていると整理されています。
なお、令和5(2023)年3月27日、知財・無形資産ガバナンスガイドラインVer.2.0が策定されています。このガイドラインは、企業と投資家との間の対話や情報開示の質を高めるためのコミュニケーション・フレームワークとして位置付けられるものです。本ガイダンスの公表は、改訂CGCに対応する検討会の取組の第一歩であり、今後のフィードバックや評価を踏まえ、知財・無形資産ガバナンスガイドラインの改訂につなげる予定とされています。
本課題解決を阻む5つの主要ボトルネックについて、本ガイダンスでは、具体的事例に基づき対応の方向性が示されています。
ボトルネック1
対応の方向性の一つ目として、「取締役会を、知財・無形資産に基づく参入障壁を活用した中長期的に稼ぐ仕組みの構築について、議論する体制にすることで、レバレッジの高い知財・無形資産への投資を確実なリターンにつなげる」ことが求められています。具体的には、「取締役会において、中長期での経営計画に関するアジェンダ(事業ポートフォリオの組換えや資源配分等)に、知財・無形資産への投資及び活用の観点を組み入れ、自社の強みを生かし、伸ばす戦略を議論する体制を整備する」ことが挙げられています。
また、対応の方向性の二つ目として、「執行責任者に対して結果責任に基づく明確なインセンティブ構造を設け、緊張感と高い当事者意識を兼ね備えた経営体制を構築することで、変化のスピードと技術の高度化に対応する」ことが求められています。具体的には、「知財・無形資産の創出・取得・強化・保護・収益化を統括する執行責任者(担当CxO)の配置、専門性が最大限発揮できる役割及び、責任者間の相乗効果を創出できる連携関係を設計し、判断の迅速化と高度化を実現する」ことが挙げられています。
ボトルネック2
対応の方向性の一つ目として、「市場環境における自社の立ち位置を踏まえて、知財・無形資産の強みを多面的に分析し、参入障壁を支える差別化要素に磨き上げることで、価格決定力を強化する」ことが求められています。これは、「技術で勝ってビジネスで負ける」状態から脱却するための方策として位置付けられています。具体的には、「自社の事業プロセスを個々の領域に細分化し、各領域における自社の強みを、知財・無形資産を軸とした複数の観点から分解して可視化することで、競争優位の源泉となる差別化要素を見極め、経営戦略に反映させる」ことが挙げられています。
また、対応の方向性の二つ目として、「事業環境の変化に応じて、参入障壁を他者と共同で構築し又は他者との間で移転することで、発想の転換を伴うゲームチェンジを生み出し、市場全体の価値を高めながら、強固な競争優位を確保する」ことも求められています。具体的には、「アカデミアやスタートアップと連携し、他社の知財・無形資産も活用することで、自社単独では到達不可能な事業領域を開拓する」ことが挙げられています。
ボトルネック3
対応の方向性として、「中長期成長に不可欠であるにもかかわらず取締役会・経営陣や財務担当者に理解されにくい知財・無形資産への投資効果を、時間軸に沿って因果関係とともに可視化を行うことで、目先の利益を優先する経営に陥ることを防ぐ」ことが求められています。
具体的には、「知財・無形資産への投資が、短期的には費用計上により財務指標を押し下げる一方、中長期的には限界利益の向上に寄与することを、時間軸に沿って可視化」することが挙げられています。また、「成長投資の性格を有しながらも販売費及び一般管理費に計上されることとなる研究開発、人材育成、ブランド管理、インフラ構築等に係る費用について、それによって構築される知財・無形資産が中長期的な成長につながる因果関係について可視化」することが挙げられています。
ボトルネック4
対応の方向性として、「サイロ化しがちな知財部と、顧客や競合他社に関する現場における情報を有する各部門が、それぞれ独り相撲に陥ることなく、事業戦略の策定段階から、攻めの視点での参入障壁構築について協調して議論することができる環境が整備されるよう、戦略的な部門連携や人的配置を実施する」ことが求められています。
具体的には、「知財部が、事業部門・技術部門等と密に連携し、市場成長性・技術の優位性・競争力の持続性を見極めた上で、攻めの視点での参入障壁を構築する戦略的な連携体制を整備する」ことが挙げられています。
ボトルネック5
対応の方向性として、「投資家目線を取り込むことで、中長期の企業価値向上に資する攻めの参入障壁の構築に関する発信を充実させ、中長期成長に理解のある投資家層の形成を図る」ことが求められています。
具体的には、「成長ドライバーである知財・無形資産を活用した新たなビジネスモデルを示すとともに、中長期の企業価値向上に対する具体的な見込みを示す」ことや、「社外取締役や投資家等による外部視点での見立てを用いながら、経営戦略と知財・無形資産を一体的に捉える視点から、知財・無形資産の潜在価値をわかりやすく投資家に説明する体制を整備する」ことが挙げられています。
活用のポイント
取締役会・経営陣としては、本ガイダンスで言及されている5つのボトルネックに関する、社内点検や対応措置を速やかに実践することが求められますが、例えば、以下の項目については、進めやすいように思われます。
ボトルネック2で「参入障壁」、ボトルネック4で「攻めの参入障壁」という、強めの表現が用いられていますが、投資家ではなく実際に事業を行う企業の取締役会・経営陣の立場としては、競争法的観点から留意する必要があります。すなわち、前記脚注2のとおり、本ガイダンスにおける「知的財産権等の無形資産」のスコープは、知財権に限られず、幅広い知財・無形資産を含むとされています。独占禁止法第21条は、「この法律の規定は、著作権法、特許法、実用新案法、意匠法又は商標法による権利の行使と認められる行為にはこれを適用しない。」と規定しているものの5、本ガイダンスのスコープの幅広い知財・無形資産の中には、独占禁止法第21条の「権利行使と認められる行為」とは評価できず、独占禁止法が適用されるもの6が含まれているといえます。
そのため、実務上は、「権利」ではない無形資産を活用する際に「参入障壁を他者と共同で構築」することは、同業者同士であればカルテルないし共同の取引拒絶として独占禁止法違反を構成する可能性がある点、あるいは、「攻めの参入障壁」という表現についても、知財権等の権利行使とは認められない態様で知財・無形資産を活用する場合、例えば、私的独占(独占禁止法第2条第5項)における「他の事業者の事業活動を排除し、又は支配する」という行為の目的ないし主観的意図を立証される可能性があるという点に留意し、社内資料等においては別の表現を用いる方が望ましい7と考えられます。
また、ボトルネック5の知財・無形資産に関する情報の開示については、従前より、特許庁に登録する産業財産権についてあれば、公開済みの情報であり具体的な説明は可能であるものの、ノウハウ・営業秘密8については、「非公知性」(不正競争防止法第2条第6項)の要件との関係で具体的な説明を開示することは困難を伴うとの議論がありました。本ガイダンスの付属資料においては、ボトルネック5の解消事例も示されており、開示の具体性の程度についても参考になるといえます。
本ガイダンスは、知財・無形資産を中長期的な企業価値向上の源泉と位置付け、その戦略的な投資・活用を取締役会・経営陣に求めるものです。特に、知財・無形資産を「中長期の成功のタネ」と捉え、戦略的に差別化要素や価格決定力の強化につなげることが重要と考えられます。
各社においては、5つの主要ボトルネックを踏まえて自社の取組状況を点検し、担当CxOの配置、外部資産の活用、投資効果の可視化、部門横断体制の整備、投資家向け開示の充実等について、可能なものから順に対応することが期待されます。
(DT弁護士法人 菅 尋史、長谷川 諒)
当該記事の意見にわたる部分は筆者の私見であり、所属する組織の公式見解ではありません。本ニュースレターは、執筆時点(2026年9月8日)の情報に基づきます。
1.「コーポレートガバナンス・コード(2026年改訂版)」(金融庁ウェブサイト、PDF)。
2. 本ガイダンスにおける「知的財産権等の無形資産」のスコープは、特許権、商標権、意匠権、著作権といった知財権に限られず、技術、ブランド、デザイン、コンテンツ、データ、ノウハウ、顧客ネットワーク、信頼・レピュテーション、バリューチェーン、サプライチェーン、これらを生み出す組織能力・プロセスなど、幅広い知財・無形資産を含むとされています。
3.「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer. 2.0」(内閣府ウェブサイト、PDF)
4.【原則4-1取締役会の役割・責務I:企業戦略等の大きな方向付け】取締役会は、会社の目指すところ(経営理念等)を確立し、それに向けた成長の道筋を構築するなど、戦略的な方向付けを行うことを主要な役割・責務の一つと捉え、具体的な経営戦略や経営計画等について建設的な議論を行うべきである。また、取締役会は、経営戦略や経営計画の策定・公表に当たっては、成長の実現を目指し、自社の資本コストを踏まえて収益計画や資本政策の基本的な方針を示すとともに、収益力・資本効率等に関する目標を提示し、その実現のために、成長投資(設備・研究開発・人的資本・知的財産等の無形資産への投資等)や事業ポートフォリオの見直し等の経営資源の配分等に関し具体的に何を実行するのかについて説明を行うべきである。
5. 知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針(公正取引員会ウェブサイト)によれば、「独占禁止法第21条の規定は、同条に掲げられた法律以外の法律で排他的利用が認められる技術にも適用されると解される。また、ノウハウとして保護される技術は…独占禁止法第21条が適用される技術と同様に取り扱われる。」とされています。
6. 同指針は、「技術の利用に係る制限行為のうち、そもそも権利の行使とはみられない行為には独占禁止法が適用される。」、「技術に権利を有する者が、他の者にその技術を利用させないようにする行為及び利用できる範囲を限定する行為は、外形上、権利の行使とみられるが、これらの行為についても、実質的に権利の行使とは評価できない場合は、同じく独占禁止法の規定が適用される。すなわち、これら権利の行使とみられる行為であっても、行為の目的、態様、競争に与える影響の大きさも勘案した上で、事業者に創意工夫を発揮させ、技術の活用を図るという、知的財産制度の趣旨を逸脱し、又は同制度の目的に反すると認められる場合は、上記第21条に規定される「権利の行使と認められる行為」とは評価できず、独占禁止法が適用される。」としています。
7. さらに、例えば、米国の企業結合届出(HSR)においては、取引の評価・検討に際して作成された経営陣向け資料のうち、市場、競争状況、競合他社、シナジー、事業上の重複等に言及する文書が提出義務の対象となり得ます。したがって、知財戦略を主目的とするM&A案件においても、そのような資料中に「攻めの参入障壁」との表現を用いた場合、競争事業者の参入阻止、市場閉鎖、又は競争圧力の低下を企図する趣旨を示す文言として当局に受け取られるリスクがあります。このため、当該表現の使用は、企業結合審査上の不必要な誤解を招くおそれがあり、避けることが望ましいと考えられます。
8. なお、営業秘密に関しては、令和7(2025)年3月31日、経済産業省知的財産政策室により改訂された「営業秘密管理指針」(経済産業省ウェブサイト、PDF)も重要となります。同指針の概要につきましては、2025年8月20日号のLegal Newsletterをご参照ください。