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スタートアップ企業の評価実務について

Financial Advisory Topics 第44回

企業の事業戦略のひとつであるM&Aを中心としたイン・オーガニック戦略(外部との資本提携を生かした戦略)は、確立されたブランド・販路・技術をより迅速に獲得できるという観点から「時間を買う戦略」とされ、事業戦略のひとつとして浸透してきた。このようなM&A戦略が普及するにつれて、投資対象も拡大し、従来はベンチャーキャピタル(VC)が投資対象としていた「スタートアップ企業」に対して、一般の事業会社が先進的な技術への投資等を目的としてM&Aを行う事例も増加している。そこで、本稿では「スタートアップ企業」に焦点を当て、M&Aプロセスにおいて検討が必要となる評価実務について紹介をする。

Ⅰ. はじめに

そもそも「スタートアップ企業」とは何か。確立された定義は存在しないが、経済産業省の資料では、新しい企業であって、新しい技術やビジネスモデルを有し、急成長を目指す企業と表現されている。評価実務上でも特に明確な定義付けはされていないが、下表のようなライフサイクルに位置する企業を「スタートアップ企業」と捉えることが多い。後述の通り、評価実務においては、通常の企業とスタートアップ企業では評価前提が異なるため、評価対象となる企業が「スタートアップ企業」に該当するのか否かの判断が評価の出発点となる。

それでは、「スタートアップ企業」は通常の企業と何が異なるのか。様々な見方があるが、ひとつの考え方として「継続企業」であるか否かという点が挙げられる。会計用語で「継続企業の公準(ゴーイング・コンサーン)」という考え方があり、これは「企業は将来にわたって継続していくことが前提」であることを示すものである。スタートアップ企業は、成功したときのリターンが大きい一方、倒産せずに生き残るリスク(=サバイバル・リスク)が含まれている点が通常の企業と比較して異なる部分である。したがって、スタートアップ企業にはサバイバル・リスクが含まれていることを前提に、評価プロセスを設計する必要がある。
 

Ⅱ. 事業計画と割引率の考え方

将来事業計画に基づくDCF法による評価を前提とすると、採用する①事業計画と②割引率の考え方が重要となる、この点は、前述したスタートアップ企業と通常の企業の性質の違いに起因し、両者で様相が異なる。

まず、①事業計画に関していえば、過去実績が参考になるか否かが挙げられる。通常の企業では、過去実績を踏まえながら、将来の市場成長率やシェア予想を参考に計画を策定していくため、事業計画数値に織り込まれる不確実性は、計画数値を基軸としながら、どの程度計画数値から乖離する可能性があるかという振れ幅の性質に近い。一方で、スタートアップ企業では、例えば開発中の技術について行政から許可が下りるか等、事業上のマイルストーンの各節目で成功するか失敗するかという成功確率の性質に近く、事業計画数値に含まれる不確実性の意味合いが通常の企業とは異なる。加えて、将来フリー・キャッシュ・フローを計算する際の設備投資水準や運転資本増減の計算の元となる運転資本の回転期間日数について、スタートアップ企業の場合は、過去実績との比較に基づいて前提を置くことが困難であり、実績数値にとらわれず事業計画数値を検討する必要がある。

次に②割引率についても、事業計画数値に含まれる不確実性の意味合いの違いと整合するように両者で様相が異なる。通常の企業では、事業計画数値からどの程度乖離する可能性があるかという振れ幅の性質に近いことから、上場類似企業から推計される業界の感応度等を盛り込んだ資本資産価格モデル(CAPM:Capital Asset Pricing Model)に基づく加重平均資本コスト(WACC:Weighted Average Cost of Capital)が割引率の基本的な考え方となる。一方、スタートアップ企業では、サバイバル・リスクが内包された事業計画に対応する割引率水準を設定する必要がある。一般的な評価実務では、ベンチャーキャピタルが期待するリターン水準が割引率水準として参照されることが多く、具体的には、下図の通り、米国公認会計士協会の発行する資料に掲載されている企業の成長ステージに応じた投資家の要求リターン水準が割引率の水準として参照される。割引率の水準感については数十パーセントレベルであり、通常のCAPMに基づくWACC計算水準とは大きく異なる。ある意味、下図の割引率水準と通常のCAPMに基づくWACCとの差がサバイバル・リスクであり、当該サバイバル・リスクは企業の成長ステージに応じて縮小していく構図となる。

(出典:Valuation of privately held company equity securities issued as compensation published by AICPA)

Ⅲ. その他の実務上の論点

その他の実務上の論点として、①事業計画期間以降の価値の考え方、②株価倍率法の取り扱い方について述べていく。

まず①事業計画期間以降の価値の考え方について、通常の企業では継続企業が前提となっているため、計画期間以降は一定の永久成長率で成長することを前提とした永久成長率モデルが採用されることが多い(下図左側)。一方で、スタートアップ企業の評価では、限られた事業計画期間内で定常状態までの成長が描けないという観点から、計画最終期の財務数値に倍率を乗じてExit Valueを算出し、当該価値を事業計画期間以降の価値として捉えるExit multiple法が採用されるケースが多い(下図右側)。

次に②株価倍率法の取り扱い方について、通常の企業価値評価ではインカム・アプローチ(例:DCF法)とマーケット・アプローチ(株価倍率法)の併用によるクロスチェック評価が推奨される。この際、株価倍率法で一般的に採用する倍率は、類似企業の事業価値を利益で除した倍率(例:EBIT倍率やEBITDA倍率)が多いが、当該手法の計算メカニズム上、倍率の乗じる相手方となる評価対象企業の足元または予測利益が正の値でないと計算結果が負の値となるため、スタートアップ企業のように足元で利益が出ていない会社の場合、当該手法の採用が制限される。この点、売上高が正の値であれば、類似企業の事業価値を売上高で除したSales倍率の採用可能性はあるものの、Sales倍率は各類似会社のコスト構造の違いを評価に織り込めず、評価の精度が相対的に低くなってしまうことから、実際にSales倍率を適用する場合は評価上の位置づけについて留意する必要がある。

なお、上述のExit Multiple法も倍率を用いた計算方法であるが、当該方法は事業計画期間最終期の利益をベースとするため、一定成長した利益が基礎となって計算される。この点、Exit Multiple法に使用する倍率は類似会社等の足元または予想利益に基づき計算されている一方で、乗じる相手方は計画最終期の利益のため、計算の仕様上、倍率と乗じる利益との間にタイムラグが生じる。スタートアップ企業が参入する業界の場合、傾向として評価対象会社の類似会社の所属する業界の市場が過熱している場合がある。そのような場合は、足元または予測利益のマルチプルをそのまま将来の利益指標に適用することが適切か否か検討を行う必要がある。なぜならば、類似会社の属する業界も将来期間にわたって成長することが想定され、将来時点における業界の成長期待が現時点の成長期待と異なる可能性があるからである。


Ⅳ. さいごに

本稿では、スタートアップ企業の評価実務に焦点を当て、通常の企業の評価実務との違いを踏まえながら紹介した。冒頭の通り、「スタートアップ企業」について明確な定義はないため、この業界分類に属する会社はスタートアップ企業である、設立して間もないからスタートアップ企業であるといった機械的な判別を行うのではなく、評価対象の事業計画数値に内包されているビジネスリスクがどのような性質なのかという出発点の検討を怠らずに評価プロセスを設計することが肝要である。


執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
バリュエーション & モデリング
シニアマネジャー
佐田 和博

※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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