2026年2月20日に企業内容等の開示に関する内閣府令等("開示府令")の改正により、2026年3月期有価証券報告書より人的資本開示の拡充が義務化され、また2027年3月期以降SSBJ基準によるサステナビリティ開示が制度化されました。さらに、3月23日に人的資本可視化指針(改訂版)が公表され、当該開示府令の改正を受け、実務的なガイダンスが提供されています。本記事では、これらの内容を体系的に整理し、今、人的資本開示についてどのような対応が求められているのかを解説します。
2026年の人的資本開示の拡充やSSBJ開示の制度化の背景には、主に以下の要因があります。
日本の人的資本投資は諸外国に比べ低水準にとどまる中、労働供給制約や生成AIの急速な進展によるスキル需要の変化を踏まえ、企業価値の向上につながる質の高い人的資本投資の拡大がより重要になっています。
2023年の有価証券報告書上での開示義務化以降も「経営戦略の実現や財務指標の改善に向けた人的資本投資が行われているかを示す開示が不十分」といった指摘がありました。
2023年6月のISSB基準の公表等を受け、人的資本を含むサステナビリティ開示が国際的に進展しています。今回の開示府令改正や指針改訂もこの国際的な潮流と整合する形で設計されています。
2026年3月期以降の有価証券報告書において、新たに以下の3つを開示が義務付けられます。
(1) 連結ベースの経営方針・経営戦略等と関連付けた人材戦略
(2) (1)の人材戦略を踏まえた従業員給与等の決定方針
(3) 平均年間給与の前年度比増減率
2027年3月期以降の有価証券報告書において、プライム市場上場企業を対象に、平均時価総額に応じて段階的にSSBJ基準による開示が義務付けられます(平均時価総額3兆円以上:2027年3月期以降、平均時価総額1兆円以上:2028年3月期以降)。
SSBJ基準に人的資本のテーマ別基準は存在しませんが、人的資本に関するサステナビリティ関連のリスク及び機会を識別する場合には、一般開示基準に従って、人的資本のガバナンス、戦略、リスク管理、指標及び目標の開示が求められます。
開示府令が「何を開示すべきか」の開示要求を定める(法的拘束力あり)のに対し、人的資本可視化指針(改訂版)は「なぜ・どのように開示するか」という考え方の枠組みを提供する実務ガイダンスです(法的拘束力なし)。今回の改訂では、開示府令の新要件に対応するための考え方として、主に以下の2つのポイントが解説されています。
(1) 経営戦略と人材戦略の連動
(2) 4つの要素に従った開示
経営戦略と人材戦略の連動については、2022年の人的資本可視化指針でもその重要性について言及されていました。しかし、現状の開示では不十分との指摘や、質の高い人的資本投資の実践と開示の好循環を実現すべく、今回の改訂版では具体的な考え方や開示方法を詳細に解説しています。
経営戦略と人材戦略を連動させる方法として、以下の3ステップが示されています。
① 経営戦略における重要度の高い項目において「あるべき組織・人材の姿」を描く
② 現状とのギャップを分析して「必要となる人的資本投資」を整理する
③ 経営への影響度をもとに優先順位と時間軸を設定した上で人材戦略を策定する
そして、その上で、可能な限り定量的な指標及び目標を設定し、人材戦略・人的資本投資の進捗及びその効果を把握し、財務・人事の両面から一貫したストーリーとして開示することが求められます。指標の開示にあたっては、自社固有の「独自性のある指標」と企業間比較に用いる「比較可能性のある指標」のバランスが重要になります。
なお、①②の検討に際しては、ISSB基準における「依存・影響」「リスクと機会」の考え方を参照・組み込むことが提案されています。これにより、あるべき人材像と必要投資をより論理的に特定でき、人的資本関連のリスクと機会を明確にした上で、投資家に有用な開示へとつなげることができます。
SSBJ基準では、自社のキャッシュフロー等に影響を与えると合理的に見込み得る人的資本関連のリスクと機会を識別した上で、4要素(ガバナンス・戦略・リスク管理・指標及び目標)に従った開示が求められます。上記1)の通り、経営戦略に連動するよう構築した「人材戦略」と「指標及び目標」の開示が投資家から期待されています。そして、「ガバナンス」はその監督体制、「リスク管理」はリスクと機会を識別・優先順位付けするプロセスとして、それぞれ「人材戦略」・「指標及び目標」に関連付けて開示することで、4要素が一体の開示として完成します。
人的資本可視化指針(改訂版)別紙では、各要素について、SSBJ基準の開示要求に照らして、投資家が期待する開示内容や開示例も参考に紹介されています。
2026年3月期の有価証券報告書対応が目前に迫る中、求められるのは既存の開示に新要求を単純に追加することではありません。本改正・改訂が問うのは「経営戦略と人材戦略が本当に連動しているか」です。自社の経営戦略と現行の人材戦略を照合し、連動のストーリーを組み立て直す契機として捉えることを、実効性ある対応の出発点とすべきです。
とりわけ、生成AIによる事業・業務の根本的な再構築を踏まえ、「あるべき人材ポートフォリオ」を問い直すことが急務です。必要な人材像を定義し、現状とのギャップを分析し、限られた人的資本を意図をもって配分するーこのプロセスに経営として正面から向き合うことが、投資家に伝わる開示の核心となります。
その上で、人材戦略の進捗を測る指標及び目標を可視化し、定点で市場に語ることが重要です。人的資本が差別化の主戦場となる今、人材戦略は競争戦略の最前線です。経営戦略と整合した人材戦略と指標及び目標を掲げ、その実行と結果を継続的に開示できる企業は、資本市場・労働市場の双方から選ばれ、新たな資金と人材を引き寄せ、企業価値を着実に高めます。