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標準必須特許(SEP)を巡るライセンス交渉の実務

Legal Newsletter:2026年10月1日号

日本の標準必須特許(SEP)を巡るライセンス交渉の実務は、現在、大きな転換点を迎えています。近時の判例・制度動向を踏まえると、実施者有利の構図から、ホールドアウトの抑制も視野に入れた均衡的な運用へと舵が切られつつあります。本ニュースレターでは、SEPの基本構造と近時の動向を整理した上で、IP部門・法務部門・事業部門の観点から、企業がとるべき実務対応を検討します。

Executive Summary

  • 日本の標準必須特許(Standard Essential Patent:以下「SEP」という)に関するライセンス交渉の実務は、大きな転換点を迎えています。本ニュースレターでは、まずSEPの基本構造と近時の判例・制度動向を整理した上で、その変化の概要を紹介します。その上で、各企業のIP部門・法務部門・事業部門の観点から、SEPライセンス交渉においてどのような準備・行動をとるべきかを検討します。
  • 平成26(2014)年の知財高裁大合議事件(以下「Apple対Samsung事件」という)以降、日本ではFRAND宣言されたSEPに基づく差止請求は長らく認容された事例がなく、実施者が「SEPに基づく差止めは容易ではない」との前提で、実施しつつ交渉を引き延ばす、いわゆる「ホールドアウト」の不誠実な慣行が実務上問題視されていました。これに対し、令和7(2025)年の東京地裁判決(Pantech v. Google:以下「Pixel 7事件」という)は、実施者の交渉態度および訴訟内和解への対応を踏まえ、被告がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に当たらないとして、SEPに基づく差止請求を認容しました。これは、実施者有利の構図から、ホールドアウトの抑制をも視野に入れた均衡的な運用へと舵を切りつつあることを示すものといえます。
  • さらに、Pixel 7事件に関連する、同一当事者間の東京地裁での別の仮処分申立事件では、国内特許の侵害訴訟を契機としつつ、最終的には4G・5G SEPポートフォリオ全体を対象とするグローバルな和解に至ったと報道されており、日本の裁判実務が、単なる日本特許での差止の可否の範疇を超えて、グローバルなSEP紛争解決の先頭に立ち始めていることを示しました。また、東京地方裁判所知的財産権部は令和8(2026)年にSEP調停の運用を開始し、日本に対するグローバルSEP紛争解決の期待は高まっています。
  • 各社においては、交渉初期からの誠実交渉、FRAND実施料の具体的な算定、グローバルに解決するための戦略策定といったアクションをとることが必要となります。

1. はじめに

(1) 特許権を巡る紛争

特許権者は、特許権の侵害者に対する差止請求などが可能です(特許法第100条1項)。通常の特許紛争では、侵害の検討、警告、交渉、訴訟という流れが一般的です。SEP紛争では、訴訟提起前の警告・交渉過程の内容自体が、後の訴訟に強く影響するという特徴があります。したがって、SEPについてのライセンス交渉は、単なるビジネス上の交渉ではなく、将来の紛争処理を見据えた法的プロセスの一環として設計する必要があります。

(2) 標準必須特許(Standard Essential Patent:SEP)とライセンスする意思の宣言

SEPとは、標準規格に準拠した製品を実施する上で不可避となる特許をいいます。すなわち、ある技術が標準規格に組み込まれると、当該規格に準拠した製品を製造、販売または使用するためには、その特許発明の実施を避けることができなくなります。このような特許がSEPです。

技術の普及に当たっては、同一規格を採用することによって、その技術の利用価値や市場価値が高まることが多々あります。そのため、競合各社は最先端の技術を持ち寄り、標準規格の策定を目指します。このような標準規格の策定に関与する団体が、標準化団体(Standard Setting Organization:以下「SSO」という)です。SSOに参加する各社は、通常、SSOに対し、保有する特許などが標準規格に採用される場合には、標準規格の利用者に対して、無償または「公正、合理的かつ非差別的な」条件(Fair, Reasonable and Non-Discriminatory:以下「FRAND条件」1という)でライセンスする意思を宣言(以下「FRAND宣言」という)することになります。

2. SEPライセンス交渉における法的論点

(1) ホールドアップからホールドアウトへ

SEPを巡る法的問題の議論の出発点は、標準化によって、実施者が代替技術へ切り替えることが著しく困難になることです。FRAND宣言がなされたSEPについての実際のライセンス交渉の場面では、SEP権者と実施者との間の個別の二者間交渉となり、実施しないという選択肢を事実上持たない実施者に対し、SEP権者が強い交渉力を有し、それを背景に、何が公正で合理的な条件であるかが曖昧なために過大なライセンス条件を要求し得る、いわゆるホールドアップ問題が生じます。こうした問題に対処するため、日本では、FRAND宣言をした権利者が、FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に対して差止請求などを行うことは、権利濫用として否定され得るという考え方が提唱されてきました。そして、平成26(2014)年の知財高裁大合議事件(Apple対Samsung事件2)においてこの考え方が具体化されました。すなわち、FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に対する差止請求は、特段の事情がない限り制限されるという枠組みが示され、その後の実務の基礎となっていました。

もっとも、この枠組みの下では、今度は、実施者が「SEPに基づく差止めは容易ではない」との前提で、実施しつつライセンス条件の交渉を不誠実に引き延ばす、いわゆるホールドアウト問題も顕在化してきました。

この点、令和7(2025)年のPixel 7事件3は、日本のSEPに関するライセンス交渉の実務における重要な転換点として位置付けられます。同事件は、Apple対Samsung事件の基本的な判断枠組み自体を維持しつつも、「ライセンスを受ける意思を有する者」に当たるか否かの判断について、当事者の具体的な交渉態度をより実質的に見る方向へと踏み込んだものであり、日本のSEPを巡る法律実務は、従来のホールドアップ問題への対策に加え、ホールドアウト問題にも正面から対応する局面へと移行したものと評価できます。

ホールドアップとはSEP権者が規格変更の困難さを背景に、実施者に対し過大なライセンス条件を突きつける問題。ホールドアウトとは実施者が差止請求の困難さを背景に、SEP権者に対しライセンス条件の合意成立を不誠実に遅らせるという問題。

(2) Pixel 7事件が示した判断枠組み

Pixel 7事件では、SEP権者が被告製品である「Pixel 7」について、通信に関するSEPを侵害するとして販売差止請求を行いました。本件における最大の争点は、被告がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に当たるか否かでした。

被告はFRANDライセンスを受ける意思がある旨を表明していたものの、裁判所は、日本特許に限定しないSEP全体を対象とする和解勧告を行い、前記Apple対Samsung事件において採用された、最終製品売上高を基準とする算定方式に基づいて、被告に対し、販売数量やライセンス料算定資料の開示、さらには対案の提示を求めました。しかし、被告は、当該方式では算定が過度に複雑になるなどとして提案を拒み、侵害製品の販売数量・価格の開示も行いませんでした。

その結果、東京地裁は、少なくとも2024年の裁判所が主導した和解勧告以降の被告の対応を踏まえ、被告が「自らライセンス交渉の余地をなくした」と評価し、真にライセンスを受ける意思を有していないと認定して、SEP権者による差止請求を認容しました。

本判決の実務上の要点として、少なくとも次の3点が考えられます。

第一に、Apple対Samsung事件の基本的な判断枠組み、すなわち、FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する限り差止請求は制限されるという原則自体は維持されたという点です。Pixel 7事件は、この原則を変更したものではなく、むしろFRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無の認定を、より実質的かつ精緻に行った点に意義があります。

第二に、「ライセンスを受ける意思」の有無は、単なる表明のみでは足りず、合理的な算定方法に向き合い、必要な資料を開示し、必要に応じて対案を提示するなど、ライセンス取得に向けた具体的な行動が取られていたかどうかによって判断されることが、より明確に示された点です。

第三に、訴訟手続内の和解協議や裁判所主導の交渉対応も、FRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無判断資料となり得ることが示された点です。SEP紛争においては、訴訟提起前の交渉だけでなく、訴訟係属中の和解協議を含む一連の対応全体が、最終的な認定・法的評価に影響し得ることが示されました。

(3) Pixel 7事件後の影響

Pixel 7事件を含む当該当事者間のSEP紛争は、2025年12月、同一当事者間の別事件の東京地裁における裁判上の和解により終結したと報道されています。和解の詳細な内容は公表されていませんが、一部報道によれば、被告は4Gおよび5Gの通信SEPポートフォリオ全体についてライセンスを取得し、SEP権者は国内外計15件の法的紛争手続の申立てを取り下げたとされています4。

個別の国内訴訟を契機としながら、裁判所が主導する和解プロセスを通じて、日本特許の差止めの可否を超えたグローバルなSEPポートフォリオ全体に関する紛争が全面解決に至ったことは、SEPを巡る法律実務において、世界的にも重要な先例的意義を有すると考えられます。
このような動きは、SEP紛争が単に特定の国で特定の特許に基づく差止めの可否を争うものではなく、最終的にはグローバルなSEPポートフォリオ全体についてFRAND条件でライセンス契約を締結することを目指すものであることを改めて示しています。こうした中、日本の裁判所が、そのための国際的な紛争解決の拠点の一つとして存在感を高めている点は、今後の実務において重要な意味を持ちます。

(4) 今後の制度的方向性

これらの実績を受けて、東京地方裁判所民事第29部・第40部・第46部・第47部(以下「東京地裁知的財産権部」という)は、2026年1月に「標準必須特許(SEP)に基づく特許権侵害訴訟の審理要領」(以下「SEP訴訟審理要領」という)を公表しました5。SEP訴訟審理要領には、前記Pixel 7事件において示された判断枠組みが反映されており、和解勧告後に交渉が不成立となった場合には、「訴訟提起前から和解手続打切りまでの交渉経過及び交渉内容」を踏まえて、権利濫用の抗弁の成否(FRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無)を判断することが明示されています。また、SEP訴訟審理要領は、訴訟対象となっているSEPを含むSEP権者のグローバルなSEPポートフォリオ全体について、FRAND条件によるライセンス料(以下「グローバルFRAND実施料」という)の合意形成を図り、SEPに関するグローバル紛争を世界的に解決する仕組みを提供することを、東京地裁知的財産権部自らの重要な役割として掲げています。ここからも、日本のSEP訴訟実務が、国内の個別のSEPを巡る紛争の処理にとどまらず、国際的なSEP紛争の解決の拠点としての機能を担うことが期待されます。

さらに、東京地裁知的財産権部は、2026年2月に、2019年10月から運用を開始していた知的財産権に関する調停手続の運用の特則として、「SEP調停(SEPJM: SEP Judicial Mediation)の審理要領」(以下「SEP調停審理要領」という)を公表し、SEP調停の運用を開始しました6。SEPを巡る紛争について裁判所が提供する紛争解決フレームワークは、従来、SEP権者が提訴する差止訴訟が中心でした。これに対し、SEP調停は、グローバルFRAND実施料の合意形成を目指すSEPに特化した調停であり、SEP権者・実施者のいずれからも申立てが可能な紛争解決手続です。

SEP調停が不成立となった場合に、調停における当事者の交渉態度が後続訴訟などにおいてどのように考慮されるかについては、現時点で明確な指針が示されているわけではありません。もっとも、SEP調停においては、調停調書に、当事者が調停に応じる意思を欠くために不成立となった旨が付記される場合があるほか、調停案や調停委員会の意見書が添付される場合もあります。これらの資料は後続訴訟などにおいて提出可能であることや、前記のとおり、SEP訴訟では「訴訟提起前から和解手続打切りまでの交渉経過及び交渉内容」を踏まえて権利濫用の抗弁の成否(FRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無)を判断されることに照らすと、今後の日本のSEPに関する法律実務では、FRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無の判断が、調停における当事者の交渉態度を含め、手続開始前の交渉段階から、調停および訴訟上の和解交渉に至るまでの一連のプロセス全体を通じて評価されるものと考えられます。

3. 企業において講じるべき対応の例

SEP訴訟審理要領およびSEP調停審理要領によれば、SEP紛争においては、権利濫用の抗弁の成否、すなわちFRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無が、主要な争点となることが明示されています。また、和解勧告後に合意に至らなかった場合には、訴訟提起前から和解手続打切りまでの交渉経過および交渉内容を踏まえて、当事者双方が主張および立証を整理して提出し、裁判所がこれに基づいて判断するものとされています。

さらに、原告(申立人)には、訴状(申立書)の段階で、算定根拠を具体的に明示したグローバルFRAND実施料の提案が求められています。他方、被告(相手方)には、答弁書の段階で、原告(申立人)の提案に対する具体的な認否・反論に加え、自らの算定根拠およびグローバルFRAND実施料の対案、さらには販売数・販売額などに関する証拠の提出が求められています。加えて、裁判所の和解においても被告がグローバルFRAND実施料の算定に必要な証拠を任意に提出しない場合には、FRAND条件によるライセンスを受ける意思がないものと判断されるおそれがあることも示されています。

このような実務運用を踏まえると、各企業においては、少なくとも以下のような対応を進めるべきと考えられます。

  • 交渉初期から、誠実交渉を証拠化すること
    SEP紛争では、訴訟提起前の警告・交渉段階からの対応が、その後のFRAND条件によるライセンスを受ける意思の有無の裁判所判断に直結し得ます。そのため、実施者においては単にSEP権者からの提案・連絡に場当たり的に応答するだけでなく、交渉担当者を決め、提案書、反論書、社内検討記録、面談議事録、メールなどを整理して保存し、「ライセンスを受ける意思があること」を客観的に立証していくための体制を整備しておく必要があります。
  • FRAND料率の検討に必要な社内データを早期に把握・保全すること
    実施者である被告(相手方)には、販売数、販売額などに関する証拠提出が求められています。そのため、実施者側の場合、対象製品の販売数量、売上高、地域別販売状況、関連SEPポートフォリオとの関係など、実施料算定に必要となり得るデータを、法務や知的財産部門だけでなく、経理・財務部門、事業部門などとも連携しながら、交渉の初期から早期に把握・保全しておく必要があります。
  • 権利者側および実施者側の双方が具体案を準備すること
    SEP権者側においては、従前より、算定根拠を具体的に明示したグローバルFRAND実施料の提案が求められていました。これに加え、Pixel 7事件およびSEP訴訟審理要領により、ホールドアウトに対する一定の対応方針が示されたことから、今後のSEP実務では、実施者側についても、単に抽象的にライセンスを受ける意思を表明するだけでは足りず、グローバルFRAND実施料に関する合意形成に向けた具体的な行動が求められます。したがって、自社として合理的な算定根拠に基づくグローバルFRAND実施料の対案を提示できることが重要になります。
  • 国内個別紛争ではなく、グローバルポートフォリオ紛争として対応方針を設計すること
    日本の裁判実務では、国内SEP訴訟を契機として、グローバルSEPポートフォリオ全体の和解に移行しやすい環境となりました。そのため、企業としては、日本における訴訟を単独案件として処理するのではなく、海外訴訟、並行交渉、他国におけるSEPポートフォリオ交渉、さらにはサプライチェーン上のライセンス分担なども視野に入れ、一体的に戦略を策定すべきです。
  • 裁判所主導の和解・調停に対応できる社内意思決定体制を整えること
    SEP調停は、SEP権者・実施者のいずれからも申立て可能であり、グローバルFRAND実施料の合意形成を志向する新たな制度であり、訴訟に比べて短期間で手続が進行します。また、交渉段階においても相手方からの提案などに誠実に対応していることを客観的に立証する必要があります。そのため、交渉の初期から、事業責任者、財務部門、経営層を含め、一定の和解条件のレンジや開示可能情報の範囲について迅速に判断できる社内体制を構築しておくことが望まれます。

 

(DT弁護士法人 菅 尋史、山村 将也)

当該記事の意見にわたる部分は筆者の私見であり、所属する組織の公式見解ではありません。本ニュースレターは、執筆時点(2026年9月29日)の情報に基づきます。

脚注

1. RAND(Reasonable and Non-Discriminatory)条件と言われることもあります。

2. 本稿では、知財高判26年5月16日(ネ)10043号(裁判所ウェブサイト、PDF)および知財高決平成26年5月16日(ラ)10007号(裁判所ウェブサイト、PDF)並びに10008号(裁判所ウェブサイト、PDF)を「Apple対Samsung事件」と総称します。

3. 東京地判令和7年6月23日(ワ)第70501号(裁判所ウェブサイト、PDF)

4.「韓国企業、スマホ特許紛争でGoogleと和解 東京地裁が合意後押し」(日本経済新聞ウェブサイト)

5.「標準必須特許(SEP)に基づく特許権侵害訴訟の審理要領」(裁判所ウェブサイト)

6.「SEP調停(SEP Judicial Mediation (SEPJM))の審理要領」(裁判所ウェブサイト)

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