周知のとおりだが、2020年代以降の外資系OEMの中国市場シェア減少を背景に、この数年間において既に多くの日系自動車サプライヤーが中国の製造・販売拠点の再編・統廃合に踏み切る事例が少なからず確認されている。現在でも、中国自動車産業が中国産業政策、NEVの普及ペース、米中貿易摩擦、ローカル企業との内巻き型競争といった不透明な因子に影響されるVUCA1時代にある中、中国に拠点を持つ日系自動車サプライヤーはすべからく事業継続か、或いは再編・撤退かといった中国事業自体の抜本的な再考を迫られていると言って過言ではない。
問題は、感情論や認知バイアスに基づく誤った判断により、全社としての企業価値を毀損してしまうリスクがあることである。本稿では、在中自動車サプライヤーの経営判断に際して陥りがちな「5つの落とし穴」を明らかにしたうえ、事業再構築の戦略的意思決定フレームワークを紹介し、類似状況にある企業様へ一つの判断材料を提示したい。
なお、在中日系自動車サプライヤーにとっての中国は、歴史的に安価な人件費を目的とする「世界の工場」から経済発展後の大きな内需を目的とする「世界の市場」へ移行し、近年はローカル企業の台頭により「イノベーションハブ」としての位置付けも再評価が進んでいる。このような観点から、中国事業への再投資や技術協業も本来議論すべき対象であるが、より喫緊の課題として中国事業再編・撤退の判断を取り上げる。
我々が在中日系自動車サプライヤーの中国事業を支援する中で、中国事業の撤退・継続判断においては以下5類型の「落とし穴」に陥りやすいと感じている。
顧客(OEM)への供給責任が厳格である自動車サプライヤーであるからこそ、いざ中国撤退の議論に直面すると、社内から撤退にまつわるスティグマを気にする声が上がることがある。「グローバルでの受注に影響が及ばないか」「中国再進出に何かしらの制約がかかるのではないか」「そもそも中国撤退は遂行不能なのではないか」といったコメントがその例である。こうしたコメントは的外れではないが、囚われ過ぎては議論が進まない状況に陥るリスクがある。
ステークホルダーの反応は論点の一つと割り切り、具体的な対処法へ議論を移行することが得策である。
これまでの投下資本よりも撤退コストを加味した回収額が少ない場合、サンクコストに対する意識から撤退よりも継続・再投資による利益回収へ思考が傾きがちである。しかし、客観的に事業の改善が期待できないものであれば、早期の撤退という外科手術が一番の効用といえる。過去の投資額よりも将来の事業性に対する冷静な分析が必要となる。
日系自動車サプライヤーがトップラインを維持・拡大するために、中資系OEMのバリューチェーン参画に取り組むのは選択肢の一つだろう。25年末の報道2のとおり、中資系OEMは今やグローバルの市場を席捲した結果、世界首位の販売台数となっている。今後中資系OEMがグローバルでの競争力をさらに高めていくうえで、各国現地生産へのシフト(いわゆる「出海」)のトレンドが継続すると想定される中、グローバルでの協力関係を構築し、中国内でのセールス力を高めるという案はある。
一方、中資系OEMへの売り込みに際し、多くのケースで求められるスピード(意思決定や研究開発・量産の実行スピード)やコストに社内体制が追い付かないという課題に直面することとなる。中資系企業と日系企業との間には、根本的に品質管理、労務、リスクマネジメント、コンプライアンス、ビジネス慣習に関する考え方のギャップが存在するため、マインドセットや組織文化を変え、さらに現地法人の決裁権限まで落とし込まなければ成功は難しい。結局、ローカル企業との競争を意識するあまり適正価格での受注ができず、生産台数が予定よりも減少した場合に不採算プロジェクト化してしまうケースもある。
事業が黒字から赤字に転じた場合、往々にして起こる議論が「撤退ではなく、生産量の減少に合わせた段階的な固定費の削減を行い、縮小均衡での継続が良いのではないか」というものである。無論、赤字が一過性の要因によるものであり、止血・縮小均衡の先に現実的な改善が見込める場合にはこれも選択肢だが、そうではない場合に縮小均衡が撤退から目を背け、議論を先送りにする方便になっていないか冷静な分析が必要だろう。
注意するべきは、供給義務の履行が重要な自動車サプライヤーにおいては業務オペレーションの縮小は生産量の減少に劣後するため、縮小均衡といえども赤字基調に変わりがないケースが通常である点である。そして、最終的に撤退するのであれば、縮小均衡の解雇費用(経済補償金)等も含めたトータルの撤退コストは、早期に撤退した場合の撤退コストと大差ないケースが多く、むしろ縮小均衡中の累積損失、設備老朽化による処分価値の低下、およびExit手法の選択肢減少により、結果として財務のネガティブ影響が大きくなっていると想定される。
自社中国事業の事業価値や不動産・機械設備の市場価値に対する見立てから、最後は持分を第三者に売り抜けて現金収入が得られることを漫然と期待している場合がある。
ファイナンシャルアドバイザーとして近年感じる中国M&A市場の実態としては、このようなdistressed(有事局面)の中国自動車部品製造事業(特にEVのバリューチェーンに絡んでいない事業)に対するポテンシャルバイヤーの目線は非常に厳しいというものである。戦略投資家(事業会社)は事業価値の源泉やシナジー効果をシビアに見定め、日系企業のブランド・技術力や業務オペレーション、また機械設備等には関心を示すものの、従業員は引き継ぎたくなく、売主側に現実的なバリューアップ施策を求めるケースが多々ある。金融投資家(事業再生ファンド等)はさらにシビアであり、買収後に自前で清算したとしても損をしないことを前提に、譲渡価格は清算コストベースで交渉となることが通常である。
さらに買い手候補が見つかればまだ良いが、財務の傷みが深刻になった段階では買い手候補の手が挙がらず、清算しか選択肢がないケースも往々にして見られる。
前述の5類型の落とし穴に陥ることを避け、できるだけ客観性の高い結論を導くために、事業再構築オプションを検討するためのフレームワーク活用が有効である。本稿では、一例として財務的合理性やステークホルダー別の論点評価に基づく戦略的意思決定フレームワークを紹介する。
事業再構築オプション別に財務影響額を定量比較するため、まずは前提となる事業計画の蓋然性を分析する必要がある。
この際、自動車サプライヤーならではの観点として以下のような点に着眼していく。また、特に楽観的に見積もられがちなポイントについて当たりをつけるために、過年度の予実差異分析が有効である。
【売上高】
【売上原価】
これら事業計画分析を通じ、通常は成り行きケースと悲観ケース(営業赤字が継続するシナリオ)の2パターンの事業計画が作成されることとなる。ここで重要なことは、成り行きケースと悲観ケースの分岐を規定するキードライバーを明確化し、社内でもコンセンサスを得ておくことである。事業計画の蓋然性は往々にして社内でも意見が割れるため、このようなシナリオプランニングを行っておくことで後続の事業再構築オプションの中で適切且つ迅速な判断ができるようになる。
次に、事業再構築オプション(仮説ベース)に関する定性面および定量面からの分析を行う。事業再構築オプションは、対象会社の置かれている状況により様々なパターンが考えられるが、一般に次のようなオプションが想定される。
A) 事業継続
A-1)成り行きケースでの営業黒字維持
A-2)悲観ケースにおける営業赤字垂れ流し
B) 事業再編(拠点統廃合など)
C) 事業撤退(早期に意思決定)
C-1)持分売却
C-2)事業終息・清算
上記事業再構築オプションのうち、最も回避したいワーストケースはA-2の営業赤字が累積していくケースであり、定量比較の観点ではワーストのA-2とC-2の事業終息・清算ケースの比較が特に重要となる。C-2の事業終息・清算ケースの財務影響額は、一定程度の幅の中で合理的な見積りが可能であるためである。(ただし、後述する中国事業再編ならではの「見えないコスト」には注意が必要である。)
加えて、実行上のハードルやステークホルダー(自動車サプライヤーの場合、主に顧客(全社としての顧客を意味合いに含む)、従業員、地方政府および合弁パートナーなどが想定される)への影響といった定性観点からの分析も必要となる。特に、C-1の持分売却は、潜在的買い手候補の有無および意向にその実現可能性が大きく依存するため、場合により当社のようなアドバイザーによる事前の匿名サウンディングで目星をつけておく進め方も想定される。また、拠点統廃合などの事業再編に関しても中国ではクリティカル且つテクニカルな論点が生じ得るため注意が必要である。例えば、省・市を跨ぐ吸収合併において、消滅法人の受け皿となる分公司の設立が当地の地方政府の了承を取り付けられるかという論点が挙げられる。
上記定量・定性観点からの分析を通じ、事業再構築オプションごとの実行課題・制約および財務影響の解像度を高めることで、自ずと全社としてのNext Actionが定まっていくのである。
最後に、事業再構築オプションの財務影響を考える際に注意が必要となる「見えないコスト」に関して少しご紹介する。「見えないコスト」とは、「こうであるべき」という合理的な見積りの外にある、見過ごされがちな潜在的なコストを指す。あくまで一例であるが、当社が業務支援する中で以下のようなケースが見られた。
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よくある見積り方 |
見えないコスト(例) |
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事業継続 |
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事業撤退 |
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事業撤退 |
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これら「見えないコスト」の中には事前の定量化が容易でない項目もあるが、こうしたコストを可能な限り考慮して事業再構築オプションの比較を行わなければ、導出された結論がミスリードになるおそれがある点は留意いただきたい。なお、「見えないコスト」の中には中国特有の事情に起因するものも多く、事前のリスク抑制が図れるケースもあるため、中国事業再編・撤退の経験が豊富なアドバイザーへ適宜ご相談いただくことを推奨する。
多くの日系自動車サプライヤーにとって事業再編・撤退は日常業務の範疇外であり、また少なからぬ痛みを伴うことから、本格的な検討が先延ばしになってしまうケースが往々にして存在する。しかしながら、全社としての更なる事業成長のためには、時に立ち止まって、冷静且つ大胆な判断をすることも必要である。もし本稿が貴社にとって中国事業を見直す一つの契機になれば幸いである。
1.VUCA: Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguityの頭文字から構成される現代の不安定で予測困難な環境を指す造語
2.2025年12月29日付日本経済新聞「中国車が25年の世界販売首位に、日本抜く 低価格EVで摩擦強まる」
3.APR: Annual price reductionの略。OEMからサプライヤーへの年次ごとの原価低減施策の要請を指す。
4.持参金:買い手から見た対象会社の企業価値がマイナスであるような場合に、取引成立のため、株式の譲渡に合わせて、売り手がマイナス部分の穴埋めに相当する金額を負担することを指す。(例:取引前に対象会社の増資を引き受けることによるキャッシュの注入、売り手が対象会社に対して有する金銭債権(貸付金等)の弁済免除等)
5.労働契約法第33条では株主変更は労働契約の履行に影響を与えないとされており、法的には持分譲渡で従業員へ金銭補償を支払う必要はない。一方、中国では株主変更(特に日系株主の変更)が従業員心情に与える影響は大きく、経済補償金に対する期待も相まって持分譲渡時に従業員からの金銭補償を受けるケースが多々存在する。
6.N: 法定の経済補償金水準を指す。2NはNの2倍に相当する水準を指し、これは違法解雇時の賠償金と同等の水準である。
合同会社デロイト トーマツ
ファイナンシャルアドバイザリー
自動車セクター
ディレクター 石川 和典
合同会社デロイト トーマツ
ファイナンシャルアドバイザリー
ターンアラウンド & リストラクチャリングサービス
マネジャー 池田 悠輔
※ 上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。
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