「AI創薬」とは、機械学習、生成AI等の人工知能技術を活用し、創薬プロセスの効率化と医薬品候補分子の設計等を行う新たな創薬手法である。新薬創出コストの増大と創薬標的分子の枯渇に対する打ち手として、AI創薬への期待は大きく、日本の成長戦略においても重点投資領域として言及されている[1]。AI創薬のグローバルでの市場規模は、2026年には数十億米ドル規模、2035年には百億米ドル規模に成長することが予測されている[2, 3]。本稿では、低分子医薬品に焦点を当て、現代に至るまでの技術的変遷と最新のスタートアップ動向を紹介するとともに、特に日本におけるAI創薬の展望について論じる。
従来の創薬プロセスにおいて、探索研究における分子設計は、創薬研究者の経験知により実施されてきた[4]。しかし、新薬の上市には、平均10年以上の期間および数十億米ドルの費用を要し、その額は年々増えている。臨床開発における成功率は10%未満に留まり、安全性・有効性を予測することの難しさを示している[5]。
1990年代から計算科学やドッキングシミュレーションへの期待は大きかったが、AI創薬はいよいよ創薬現場の「強力な戦力」になってきている。初期の取り組みは、計算量の観点から機械学習(ML)による低分子医薬品の物性予測から始まった。その後、標的タンパク質の揺らぎ予測、膨大な化合物ライブラリーからのバーチャルスクリーニングへと発展し、現在では、de novo化合物設計が実用化レベルまで進展している[6, 7]。
アミノ酸配列からタンパク質構造を高精度に予測するAlphaFoldが、大きなブレイクスルーをもたらした[8]。その貢献に関連し、2024年のノーベル化学賞が開発者らに授与された。例えば、Gタンパク質共役受容体(GPCR)等の膜タンパク質は、がんや神経変性疾患等の重要な創薬標的でありながら、タンパク質の結晶化で生体内の状況を再現することが難しく、構造ベース創薬(Structure-based Drug Design; SBDD)の課題であった[9]。AIは、実験的情報が不足しているタンパク質に対しても、アミノ酸配列と構造情報を学習することで、高精度な3次元構造を提示することを可能にした[10]。生体内でタンパク質が複数状態を行き来するマルチステートの考慮や、動的な構造変化の予測に踏み込み、隠れた結合ポケットの探索とともに、創薬標的スペースを拡張している[11]。
AI創薬は、「低分子回帰」のトレンドを後押しすると考える。低分子医薬品は、バイオ医薬と比較して製造コストが低く、医療経済上のメリットが大きい。また、経口投与が可能という利点を持つ。現在、既存化合物の最適化・スクリーニングから、未知の分子を設計する段階に進み[7]、構造未決定の創薬標的に対してde novo設計を行うことで、in silicoで探索プロセスが完結する。さらに、AIが設計した化合物を自動合成ロボットが合成・評価し、フィードバックを行う自律型ラボに対する取組みが進む。計算難易度が比較的低く、合成も比較的容易な低分子医薬品では、創薬サイクルの高速化が可能になる。低分子医薬品市場は、現在の数百億米ドル規模から2031年には千億米ドル規模に成長することが期待されており、AIによる寄与が考えられる[12]。
医薬品の最大市場は米国である。米国におけるスタートアップへの投資状況は、2024年から2025年にかけて投資件数が25%減少したが、投資額は8%の減少に留まっており[13]、有望な企業の選別と投資の集中がみてとれる。
AI創薬スタートアップが自社技術の実力を証明するためには、自社パイプラインの創出実績が必要であり、その上で継続的にパイプラインを生み出すポテンシャルを見せる必要がある。黎明期にみられたSaaS型プラットフォームビジネスから脱却し、リードパイプライン開発による収益とメガファーマとの提携を二本の柱として持続的な成長を目指していると考えられる。
実際、米国のAI創薬スタートアップは、メガファーマとの間で数十億米ドル規模の大型契約が行われているが、これらの企業は一定の臨床実績を保有している。メガファーマが指定する疾患領域もしくはターゲットに対して、化合物を開発・設計する事例が多くを占める。
AlphaFoldの創薬応用を目的として設立された、DeepMind社のスピンオフ企業である。低分子、DNA、RNA、イオン等、多種のリガンドとタンパク質の相互作用を高精度に予測するAlphaFold3の2倍以上の精度を誇る、独自のソフトウェアを組み込んだ創薬エンジン「IsoDDE(Isomorphic Labs Drug Design Engine)」を自社で開発し、構造未決定タンパク質を標的とした新薬開発を目指している。2024年にEli Lilly、Novartisとの提携、2025年にはNovartisとの追加プログラムを発表し、協業実績を積んでいる。
創薬標的の探索から化合物の分子設計、前臨床候補の創出まで一気通貫で行うAIプラットフォーム「Pharma.AI」を開発した。2025年には香港市場において上場した。疾患関連オミクスデータ等の入力による標的タンパク質候補のリスト化から、実験計画の策定、臨床結果の予測等まで幅広くカバーしている点が強みである。自社開発パイプラインを臨床開発に進め、特発性肺線維症のリードパイプラインがPhase 2にある。40以上のパイプライン、13のIND承認品を保有し、自社開発とアウトライセンスビジネスを両立している。2026年3月にはEli Lillyと研究開発での提携を発表した。AI創薬企業が物性予測・探索研究を超えて、バイオファーマに成長した事例である。
難易度が高い標的に対する化合物生成、タンパク質-リガンド複合体の構造予測に加え、活性、特異性やADME等の薬物動態パラメータを予測するAIプラットフォーム「GEMS」を開発した。生成された分子が、医薬品として適した物性を示すかをいち早く見極め、ワークフロー全体を効率化することを可能にする。自社で自己免疫疾患に対する低分子医薬品開発に取り組み、高額なバイオ医薬品からの脱却を目指している。同時に、2024年にGilead、2025年にIncyteとの大型提携を近年発表している。
データの質と量を担保するために、超高密度のマイクロアレイチップを用いた独自のデータセットの拡充に力を入れる。1日に数億回という分子間相互作用データを生成し、AIを訓練している。未知の創薬スペースの探索を特長とし、2023年からのBristol Myers Squibbとの共同開発では、2025年にマイルストンを達成したことを報告している。
このように、AI創薬スタートアップの成長にとって、計算とウェット実験での検証を回す体制を作り上げ、プラットフォーム型からパイプライン開発・ライセンス型に移行することが重要であると示唆されている。現在、日本のAI創薬に取り組むスタートアップは、プラットフォーム型に留まるケースが多く、自社でパイプラインを保有するケースは少ない。これは、技術力、計算資源やウェットラボ環境等が不足している状況を示している。ただし、ウェットラボでの検証には設備投資と固定費が必要となり、スタートアップの資金繰りを圧迫するリスクをはらむ。実際、グローバルスタートアップにおいても、リブランディングやM&Aにより資金の確保等を行う事例が見受けられる。日本のスタートアップは先行事例を学習し、実証環境を持つ大企業と提携することで、日本独自のAI創薬エコシステムを大きく成長させる期待がある。
AIによる創薬手法刷新への期待は、一過性の過熱を超え、実用化フェーズに入っている。日本が再び創薬国家としての地位を取り戻すためにも、AI創薬は一つの重要な技術であり、オープンイノベーションの活用が期待される。
新たな技術の導入は、技術の選定、適切なPoC設計、ウェット実験での検証等を通じて技術評価や事業性評価を効果的に行いながら、段階的に進めることが重要であり、AI創薬特有の論点も存在する。当社は、専門知見と実務的な事業推進力で、大企業・スタートアップ双方にとって価値があるイノベーションを突き詰めていく。
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社
マネジャー 鈴木 慶子
コンサルタント 宮本 尚樹
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社
パートナー 宮澤 嘉章
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。