世界幸福度ランキングで55位と低迷する日本。ウェルビーイング先進国への道を切り拓くためには何が必要なのか。東京大学教授の鈴木寛氏、Well-being for Planet Earth代表理事の石川善樹氏、デロイト トーマツ グループの松江英夫が、その鍵となる政策について意見を交わした。
日本がウェルビーイングを高めていくには、どんな政策が必要なのか─。
この重要な問いに対する手がかりとして、書籍『ウェルビーイングのジレンマ 幸福と経済価値を両立させる「新たなつながり」』より、対談の一部を紹介する。
対談に登場するのは、ウェルビーイング学会の副代表理事で東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策・メディア研究科特任教授の鈴木寛氏、同理事で公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事の石川善樹氏、デロイト トーマツ グループ 執行役の松江英夫。三人の知見が交差するこの対話から、日本が目指すべき未来のヒントを探る。
鈴木 寛(すずき・かん)
東京大学教授、慶應義塾大学特任教授
通商産業省、シドニー大学、山口県庁などを経て、2001年参議院議員に当選。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化、科学技術イノベーション、IT政策を中心に活動。2014年から東京大学、慶應義塾大学教授に就任、文部科学大臣補佐官、ウェルビーイング学会副代表理事、社会創発塾塾長、OECD教育2030理事、Teach for All Global Board Member、日本サッカー協会理事などを歴任。
松江 様々な調査結果を見ると、日本人のウェルビーイング実感は低い水準にあります。どのような理由があるとお考えですか。
石川善樹氏(以下、敬称略) 確かに日本のウェルビーイング実感は高いとはいえません。例えばギャラップが毎年実施している「Gallup World Poll」を見ると、06年の調査開始当初こそ日本のウェルビーイング実感は27位以内(127カ国中)と比較的上位でしたが、リーマンショック以降は大幅に順位が下がり、以降横ばいが続いています。GDP(国内総生産)の割には、ウェルビーイング実感が低い国だといえるでしょう。
鈴木寛氏(以下、敬称略) その背景には孤独・孤立の問題があると思います。30〜40年前と比較すると、全世代で一人暮らしの世帯が大幅に増えています。近くに頼れる人がいないため、将来不安もあるでしょう。
石川 高度経済成長期の日本では、地方では地域共同体が、都市では会社が、それぞれ人々の居場所となっていました。しかし1990年代以降、地方では過疎化が進み、一方都市部の企業では非正規雇用が増え、共同体からこぼれ落ちる人が増えました。宗教にも孤独な人々の居場所としての側面がありましたが、その力も弱まっています。そこで、多くの方が孤独・孤立や将来不安を感じるようになってしまったのだと思います。
石川 善樹(いしかわ・よしき)
公益財団法人 Well-being for Planet Earth 代表理事
東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人と地球が調和して生きるとは何か」をテーマとして、雲孫世代(約300年後)にまたがるような長期構想に取り組む。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。ウェルビーイング学会理事。
松江 この状況を変えていくために何が必要だとお考えですか。
鈴木 今の日本に必要なのは、新たな「つながり」や「居場所」をつくることです。従来の企業や地域に代わる、新たな共同体が求められています。
では、具体的にはどのような共同体をつくっていくべきか。私は「スポーツ」「食」「学び」がカギだと考えています。
私はサッカー日本代表元監督の岡田武史氏が代表を務めるFC今治の運営をお手伝いしていますが、スポーツは企業の経営者が考えている以上に人々のつながりを生む共通言語になると実感しています。居場所を失いバラバラになってしまった人々が、スポーツを通じて再びつながれるという可能性を感じています。
石川 スポーツは、身体的な感覚を通して一体感を覚えることができるのがいいですね。スタジアムでのウェーブのように、身体を使って敵味方関係なく一体となることができます。
鈴木 身体性は非常に重要です。人々のウェルビーイングを高める上では、このレベルでの強いつながりが不可欠だと思います。
身体性という意味では、私は「共食」にも可能性を感じています。家族や地域の人など、仲間とともに食卓を囲み、時間を分かち合うことが強い「つながり」を育むからです。地域の人々が食材を持ち寄って一緒に食べる「みんなの食堂」という取り組みが全国各地で実施されていますが、これも新たなつながりにつながる興味深い取り組みです。
さらに「学び」も今後ますます重要になるでしょう。実は、日本では、学校と地域住民が協力して学校の運営に取り組むコミュニティースクールが増え続けています。こうした場所を起点に、新たな居場所づくりができるのではないでしょうか。
松江 大人の学びの可能性についてはいかがですか。
鈴木 公立の学校施設を、放課後や週末に大人も含めたすべての人のための学びの場として開放する「コミュニティースクール2.0」という構想が進んでいます。学びを通じてできた縁は生涯にわたって続きますから、地縁や商縁が弱まっている現代において、深い学びや遊びを通じたつながりはますます重要になるでしょう。
石川 教育は、地方共通の課題である若年層の流出を食い止める上でもポイントになります。特に20〜30代の女性のウェルビーイングを高めることが非常に重要で、これが地域の未来を左右すると言っても過言ではありません。この年代の女性が流出してしまうと、地域の人口減少が一気に進んでしまうためです。
そして若い女性の流出を防ぐカギとなるのが大学進学率です。地方における女子の大学進学率は相対的に低く、男女間の進学率格差も大きいのが現状です。一方で、大卒の人とそうでない人との間にはウェルビーイングに大きな差があるというデータもあり、いかに地方の若い女性の大学進学率を高めるかが今後重要になるでしょう。
松江 英夫(まつえ・ひでお)
デロイト トーマツ グループ 執行役
社会構想大学院大学教授、大学院大学至善館特任教授、事業構想大学院大学客員教授、中央大学ビジネススクール客員教授、経済同友会幹事、内閣府、経産省、国交省等で政策委員を歴任。フジテレビ『Live News α』、日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』コメンテーター。
松江 居場所という観点では、オンライン空間の活用も進むのではないでしょうか。現代では、地域に根ざしたリアルなつながりと、インターネット上のサイバー空間でのつながりという2種類のつながりが存在します。これらの関係は今後どうなっていくとお考えでしょうか。
鈴木 政府が進めるソサイエティー5.0は、まさにリアルワールドとサイバーワールドの高度な融合を目指すもので、ここに、新たなチャンスがあると考えています。地域に根ざしたコミュニティー(リージョナルコミュニティー)と、共通の趣味や関心でつながるコミュニティー(テーマコミュニティー)をうまく組み合わせることがポイントです。例えばFC今治なども、地域住民とファンコミュニティーという二つのコミュニティーのハイブリッドな存在です。「好き」や「推し」といった感情でつながったコミュニティーがリアルな行動を伴うことで、新たな価値が生まれると考えています。
松江 次に政策に目を向けてみましょう。今後、日本をウェルビーイング先進国にしていくには、どのような政策が必要でしょうか。
鈴木 様々な政策の合わせ技が重要になるでしょう。根本的な問題として、消費税20%を実現し、教育投資を増やす必要があります。これだけ高齢化が進んでいて、消費税率が10%しかないという国は他にありません。財源不足により公助ではなく、自助に頼らざるを得ない状況では機会の格差も広がってしまいます。
松江 不幸を取り除くことと、個人の可能性を最大限に引き出すこと、この両面からのアプローチが必要ですね。日本は、孤独の解消や将来不安の軽減など、不幸を取り除く部分に課題が多いのかもしれません。どこをターゲットに、どのような対策を講じていくべきだとお考えですか。
鈴木 ここでもキーワードは「つながり」です。例えば、個人負担の軽減を再分配だけで行おうとすると、財政がパンクしてしまいます。しかし、自分一人で負担を解決しようとするから不安になるのです。そこで、公的な伴走者、コミュニティーの伴走者といった「一緒に伴走してくれる人」の存在があれば、将来不安もだいぶ和らぐのではないでしょうか。
松江 国に頼るだけでなく、お互いに助け合う共助のしくみをつくることで将来不安に立ち向かうのですね。
鈴木 共助が豊かになれば、どうしても公助が必要な人に資源を集中させることができます。国家運営の側面から見ても、民間の共助を推進していくことは非常に重要です。
石川善樹氏(左)、鈴木寛氏(中央)、松江英夫(右)
松江 日本のウェルビーイングの現状は、どのような状況にあるのでしょうか。
石川 海外と比較しても、日本はウェルビーイング先進国になりつつあります。政策面だけでなく、企業、地方自治体、教育機関など、様々な主体が一斉にウェルビーイングに取り組み始めているという点で、他に類を見ない状況で、海外からも視察が来るほどになっています。
松江 それほどまでに日本のウェルビーイングが注目されるようになった背景には、どのような要因があるのでしょうか。
鈴木 日本はGDPが縮小し、来年にはインドにも抜かれるという予測もあります。そんな中、政治の場には「このままでは日本は自信を失ってしまうのではないか」という危機感があります。
そこで私たちは、日本がもう一度自信を取り戻し、活力を得るために「ウェルビーイングナンバーワン」をナショナルアジェンダ(国家目標)に掲げようと訴えてきました。これは、150年前の富国強兵、50〜60年前の高度成長・国民所得倍増計画に続く、日本の第3の立て直しともいうべき目標です。この「国家目標としてのウェルビーイング」という考え方は、政治家の中にも次第に理解が広がっていると感じています。
松江 これまでの経済成長という指標だけでは、国民を引きつけられなくなってきている、それに代わるものを政治が求めているということでしょうか。
鈴木 その通りです。時代に合わせて使う物差しを変える必要があります。これは日本だけでなく、世界でもGDPに代わる指標としてウェルビーイングの要素を取り入れるべきだという「Beyond GDP」の考え方が広がっています。経済成長を示すGDPは依然重要な指標の一つではあるものの、それがすべてではないという認識が浸透しはじめています。
石川 世界では、20世紀まではGDPが伸びればウェルビーイングも向上しました。しかし21世紀に入り、その関係は崩れてきています。GDPが成長しているにもかかわらず、ウェルビーイングが低下している国や地域も存在するのです。これは物質的な豊かさだけではない、新たな豊かさが求められる時代になっています。
ではどんな豊かさがあれば幸せなのか。それには自分自身を知ることが大事です。現代社会では、常に「何者かになる」ことを求められがちですが、本来はスポーツ観戦をしている時のような、何者でもない自分もいて良いのです。定年退職して肩書を失った時にも、ありのままの自分でいられることが大切です。過度に首尾一貫した自分を求めすぎる社会は、人々に息苦しさを与えるように思います。
誰もが「何者かになる」ことを目指さなくてもいい、そんな自分も許容できる社会こそが、真のウェルビーイング社会と言えるのではないでしょうか。ウェルビーイングとは、様々な友人がいて、様々な居場所がある状態だと、誰もが自然に言えるようになることが理想です。
石川善樹氏(左)、松江英夫(中央)、鈴木寛氏(右)