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幸福学の第一人者に聞く、幸せな組織のつくり方

ウェルビーイング研究の第一人者である武蔵野大学の前野隆司教授に、日本企業が目指すべきウェルビーイング経営や、日本社会のウェルビーイング向上について聞いた。 

個人の“幸福”と、企業や国、自治体などの組織が追求する“経済価値”を両立させることはできるのか─。

デロイト トーマツ グループの書籍『ウェルビーイングのジレンマ 幸福と経済価値を両立させる「新たなつながり」』(2025年8月)では、こうしたジレンマを克服し、幸福と経済価値を両立させる新たな経営手法「ウェルビーイング経営のフレームワーク」を提案している。

近年注目が集まる「ウェルビーイング」に関して、研究の第一人者である武蔵野大学ウェルビーイング学部の前野隆司教授に、日本企業が目指すべきウェルビーイング経営や、日本社会のウェルビーイング向上について聞いた。

ウェルビーイングに注目集まる理由とは

―現在ウェルビーイングにこれほど注目が集まっているのはなぜでしょうか。

前野隆司氏(以下、敬称略)  その理由は二つあると考えています。一つはウェルビーイングについての研究が進んだことで、その重要性が明らかになってきたことです。「主観的ウェルビーイングが高い人は創造性が3倍高く、生産性が約30%高い」とか、「企業の社員の幸せと売り上げや株価、利益には相関がある」など、多くの研究結果やデータが発表され、個人や企業のウェルビーイングを考えることは理にかなっていると多くの人が認識し始めたためだと思います。

もう一つの理由は、日本の幸福度が低いことでしょう。日本には、仕事にやりがいを感じていない人や孤独を感じている人が多く、ウェルビーイング向上の必要性が高い社会であることが背景にあると考えています。ですから最新のウェルビーイングに関する知見も取り入れ、「健康に気をつける」のと同じように「幸せに気をつける」社会にしていく必要があると思います。

 

―「世界幸福度報告」(2025年)のランキングで日本は147カ国・地域中55位で、G7では最下位というデータがありますが、なぜ日本は幸福度が低いのでしょうか。

前野  ウェルビーイングの調査はアンケートに頼るところが大きいのですが、研究では、個人主義的な国では幸福度を高く答える人が多く、日本をはじめとする集団主義的な国では低めに答える人が多いという傾向があります。ですから日本の数値は多少割り引いて考えるべき部分もあります。しかし、それを差し引いても、日本人の幸福度は高いとはいえません。

その背景には、日本人には心配性の遺伝子を持つ人が多いという要素も関係しているでしょう。細かいことに気がつくため、良い製品やサービスをつくる上ではメリットでもありますが、「私なんかダメかも」とネガティブになりやすい側面もあります。

歴史を振り返ると、武士道の精神のように、謙虚でありながら「自信」と「志」を持つのが日本人の美点でした。ところが最近は自信も志もなくなって、謙虚だけが残ってネガティブになってしまっているように感じます。本来日本人が持っていた優しさや温かみ、人々の間の「つながり」を取り戻す必要があるのではないでしょうか。

前野 隆司(まえの・たかし)
武蔵野大学ウェルビーイング学部ウェルビーイング学科 教授
慶應義塾大学 名誉教授

東京工業大学(現東京科学大学)工学部機械工学科卒業。東京工業大学(現東京科学大学)大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。博士(工学)。キヤノン株式会社に勤務後、慶應義塾大学理工学部機械工学科教授、慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長を経て、2024年4月より現職。著書に『幸せに働くための30の習慣』(23年)、『ディストピア禍の新・幸福論』(22年)、『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門』(13年)など多数。

VUCA時代にこそ求められるウェルビーイング経営

―企業においてもウェルビーイング経営が注目を集めています。どんな背景があるのでしょうか。

前野  将来の見通しがきかず、先の読めないVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代であることが背景にあると思います。幸福学では、幸せになる条件として「チャレンジ精神があること」「人と協力すること」などを挙げています。実は、これらはイノベーションの条件とも重なるのです。

先の読めない時代だからと縮こまるのではなく、リスクを取って挑戦し、失敗を繰り返しながら次の時代を作っていくマインドが求められているのではないでしょうか。逆に言えば、日本は幸せでないからイノベーションも起きにくいのかもしれません。

 

―ウェルビーイングは個人の生産性や創造性に関わるだけでなく、企業の業績にも影響するのでしょうか。

前野  日本では、幸せと生産性や利益は相反する、という誤解が強く残っているようです。ところが研究データを見ると、幸せと企業業績は比例するのです。幸せな職場ほど、生産性や創造性、売り上げ、利益などのあらゆる指標が高いというデータは、世界中にたくさんあります。

ブラック企業のように社員のウェルビーイングを犠牲にすると、短期的に利益を出すことはありますが、10年20年と長期で見れば幸せな会社の方が生き残りやすいといえます。ただし現在の研究の多くはあくまで相関を示したもので、企業が社員のウェルビーイングを高めると企業全体の利益が上がるという因果関係を検証するには数十年単位の調査が必要になるでしょう。一方、社員個人に着目した研究では、幸せだとその社員の売り上げが伸び、売り上げが伸びると給料が増えて幸せになるという、両方向の因果関係が検証されています。

 

——ウェルビーイング経営を実践している企業とそうでない企業で決定的に違う要素は何でしょうか。

前野  私がウェルビーイングの成功事例として挙げる企業には中小企業が多いのですが、これらの企業に共通しているのは、経営層と社員の距離が近いことです。経営層と社員の間で企業理念が共有され、プライベートな話題も含めて社内で人間的な会話ができるのが、幸せな会社の特徴です。

 

——ウェルビーイング経営は良いことづくめのように聞こえますが、なかなか進まない、あるいはやらない理由は何でしょうか。

前野  ウェルビーイング経営の逆は、トップが命令して部下が兵隊のように働く、という軍隊スタイルです。両者の間に中間はないので、軍隊型の会社が少しウェルビーイングを取り入れてみても目に見える成果が出ないと、また元のスタイルに戻ってしまうことが少なくありません。中途半端にやってもうまくいかないのです。ですから、やはりビジョンや理念をつくって全員に浸透させ、一丸となって一気に進めることが大事です。

 

——ワクワクして仕事をしていると、一見遊んでいるように見えてしまうのではないか、という従業員側の懸念について、どう思われますか。

前野  経営者は肝に銘じないといけない問題です。経営サイドから「ウェルビーイングをやり続けなさい」という強いメッセージを出し、実際に企業文化が変わるまでやり続けるという強い意志が重要でしょう。 

ウェルビーイングのジレンマ

この記事は書籍『ウェルビーイングのジレンマ 幸福と経済価値を両立させる「新たなつながり」』から一部抜粋・編集したものです。インタビューの全文は書籍をぜひご覧ください。