ナレッジ

アナリティクス成功は濃いコミュニケーションあってこそ~トムスxデロイト トーマツ協業からの学び~


「スーパーフォーミュラ(SF)」は、日本国内フォーミュラーカーのトップカテゴリーである。2023年シリーズ9戦を走り抜き、ドライバーチャンピオンの栄冠に輝いたのはVANTELIN TEAM TOM’Sの宮田莉朋選手だった。勝利を引き寄せた要因の1つに、データ分析(アナリティクス)のレース現場への導入があった。株式会社トムスのエンジニア陣とデロイト トーマツのデータサイエンティストは、「アナリティクスを生かすには繊細なチューニングが不可欠」と話す。その前提には、人と人との密なコミュニケーションがあった。

手作業のデータ処理が限界に

―― レースにアナリティクスを導入された背景はどのようなものだったのでしょうか。

トムス:大立健太氏 以前は、レースカーのタイムなどをピットに詰めているエンジニアが表計算ソフトに手作業で打ち込んでいたのですが、どうしてもタイムラグが生じてしまいます。刻一刻と状況が変わり、迅速な判断が求められるレースの現場では、ちょっとした遅れが致命傷になる。手作業でやっていたことを自動化して現場の工数を減らし、リアルタイムに分かりやすく表示し、的確な判断を下せるようにしたい、そうした切実なニーズがありました。

 

大立 健太/Kenta Ohdachi
株式会社 トムス レース事業本部 レース技術部 技術三課

2017年入社。スーパーフォーミュラ「VANTELIN TEAM TOM’S」36号車を担当するチーフエンジニア。アナリティクスの導入で「ドライバーとエンジニアが勝負に全力集中できるようになった」と喜ぶ。


 

―― レース現場ではどのようなデータを扱うのですか。

大立 ラップタイム、セクタータイムといったタイムデータに加え、レースカーについているたくさんのセンサーからオイルやブレーキ、タイヤの温度、燃料の消費量、ダウンフォースなど多種多様なデータが次々に送られてきます。しかし、個々の生データだけを漠然と見ていても何もわかりません。現場のスタッフが瞬時に理解して、即座に判断できるように、分かりやすく加工して見せなければ役に立たないのです。例えば、何か異常値が出たときにエラー発生だと一目で分かるようにするヒューマンインタフェースの部分が要(かなめ)だと思います。
 

―― システムの導入は順調に進みましたか。

大立 当初は苦労もありました。というのも、トムスとデロイト トーマツさんとの協業がスタートしたのは2021年3月で、新型コロナ禍の真っただ中だったのです。そのため、集まって対面で話す機会がなかなかとれず・・・。サーキットにも入場規制がかかっていたので、我々が現場で作業しているところを直接見ていただくことも難しい状況が続きました。オンライン中心のコミュニケーションで密にやり取りさせてもらってはいたのですが、レースという極限的な場の空気というか、それを前提とした我々の意図や要望をダイレクトにお伝えすることができず、歯がゆさもありました。デロイト トーマツの皆さんにもご苦労をかけてしまったと思います。

そうした助走を経て、一気にアナリティクス・プロジェクトが加速したのは2022年のシーズンからです。デロイト トーマツチームの皆さんに車両ピット内に来ていただき、実際に我々が作業しているところを見ていただけるようになったのです。2023年に新型コロナウイルス感染症が「5類」に移行して行動制限が解除されると、シーズン9戦を通して日本全国のサーキットを一緒に転戦していただきました。アナリティクスデータを基にした戦略シミュレーションなど新たな取り組みへのチャレンジも始まりました。レースという業態の特殊性もあるかもしれませんが、データアナリティクスの効果を最大限引き出すのは、やっぱり、人と人とのコミュニケーションなのだなと実感しました。
 

―― デロイト トーマツのアナリティクスチームは必ずしもレースで勝つということの専門家ではありません。レースの専門家集団の皆さんから、どのようにコミュニケーションしたのですか?

大立 逆に、我々はデータを扱うということに関しては素人に近いレベルです(笑)。ですから、とにかく我々がやっていることを実際に見て理解していただく。こういうことを、こういうふうにやっている、こういうところに時間がかかるんだ、というところですよね。サーキットのピットに机を並べて、一緒に作業していただいたのが大きいと思います。レースエンジニアリングという仕事の内容を、一般の方々に分かりやすく説明することはなかなか難しいので、現場で見てもらって一緒に話すというのが一番の近道でした。

 

データエンジニアの仕事が進化した

―― 伊藤さんは大立チームのデータエンジニアとして活躍されていますが、アナリティクスの導入についてどのように感じていますか。
 

伊藤 大晴/Taisei Ito
株式会社 トムス レース事業本部 レース技術部 技術三課

2019年入社。スーパーフォーミュラ「VANTELIN TEAM TOM’S」36号車担当のデータエンジニアとして活躍している。

 

トムス:伊藤大晴氏 アナリティクスを導入して1年ほど経った2022年後半くらいから、データエンジニアとして自分の仕事は何だったのだろうと考えるくらい(笑)、劇的に業務効率が改善しました。以前は、表計算ソフトにデータを手作業でコピーして、手作業で加工処理していたのですが、レース中に手作業でできることは限られています。「このあたりのデータが気になるから見てみよう」というように当たりをつけ、情報の一部をかいつまんでグラフ化したりするのが精一杯でした。レース後、工場に帰ってから改めてデータを分析してみると、「このデータが上がってきたときに、レース運びをこう変えていたら勝てたのに」といったことが何回もあって…悔しい思いをしていました。

今では、ダッシュボード式に全ての情報がリアルタイム、オートマチックに表示されていきます。しかも一目でポイントが分かるグラフや表の形式で見られます。重要データを見逃すようなことはありません。データエンジニアとしての私の仕事は、生データをひたすら処理することではなく、アナリティクスシステムによって処理された加工データから勝つためのヒントを読み取り、作戦変更やドライバーとのコミュニケーションに活かすことに進化したと言えます。そこに集中できるようになったこと、車両担当のトラックエンジニアに的確にインプットできるようになったことが、データエンジニアとして大きな喜びです。
 

―― リアルタイムでデータが見られるようになったことによって、現場では具体的にどういうことが変わったのですか。

伊藤 例えば、ピットインのベストタイミングの読み方です。アナリティクス・ダッシュボードでは、他車のデータもリアルタイムで収集しているので、いつピットインしたら、ピット作業に何秒かかり、ピットアウトしたときに順位はどうなるかといったことが一目で分かるようになっています。これができると、ピットアウトした時に接戦のライバル車の後ろにならないようにタイミングを計ることができるのです。タイミングを誤って後ろになってしまうと抜き返すのは大変ですから。これまでは勘と経験に頼っていましたが、ダッシュボードでは他車との相対的な位置関係を含めて推移を可視化できるので、効果的に判断が下せるようになりました。

とはいえ、レースというものは天候や車両状態、ドライバーの調子など様々な要因の微妙な違いによって結果が大きく左右されます。車についている様々なセンサーから上がってくるデータも、レースごとに読み取り方が微妙に変わってくる。大量に上がってくるデータの処理はアナリティクスシステムに任せて、そうした細かいところ、人間の感覚や感性に依存するところに時間をあてられるようになったことも大きいです。

例えば、ダウンフォース(走行中のレーシングカーを地面に押さえつける空力)は、ストレートの、この速度域で見るというふうに決めていますから、そこでの単純比較はダッシュボードで簡単にできます。ところが、あるコーナーで車が少しおかしな挙動をしているという時、原因は何かを探るためにはダンパー(ショックアブソーバー)のストロークを見てみるとか、その特定コーナーでのダウンフォースを比較してみるとか、能動的に分析することが必要になってきます。そうしたことが、データエンジニアの知恵とセンスの見せどころになりました。

 

余計なものは出さない、極限までシンプルに

―― 星さんに伺います。緊迫したピットで本当に使えるユーザーインタフェースにするために、ユーザー側からいろいろとリクエストがあったと思います。どのように受け止めたのですか。
 

星 貴史/Takashi Hoshi
有限責任監査法人トーマツ Audit Innovation 

2017年入社。前職のデザイン会社では乗用車のインパネ(計器盤)のデザインに携わる。根っからのクルマ好き。
 

デロイト トーマツ:星貴史 このプロジェクトには2021年秋から参画しました。その時既にアナリティクス・ダッシュボードのプロトタイプがある程度まで出来上がっていました。カーレース用の情報ダッシュボードというものを初めて見たとき、その情報量の多さに驚いたのを覚えています。トムスのエンジニアの皆さんはその道のプロフェッショナルなので、必要なデータを上手にピックアップして判断に活かされていましたが、それにしても多いなと(笑)。全体を俯瞰しながら整理して、慌ただしいレース中のピットでも使いやすいものにしたいと思いました。アナリティクスによって、現場のエンジニア陣の判断を、より速く、より正確に、より的確にサポートするぞ、と自分自身の目標を設定しました。
 

―― データアナリティクス活用の一般的なイメージは、マーケット分析、ファイナンス分析、サプライチェーン分析など、どちらかというとスタティック(静的)で、時間軸はせいぜいデイリー(日単位)で、組織としてはコーポレート(大企業)、最終目標はストラテジー(経営戦略)という印象なのですが、今回のケースはかなり違うように感じます。

星 意外かもしれませんが、データアナリティクスの適用範囲は、経営会議からレース場のピットまでかなり広いのです。もちろん、いろいろな条件が違いますから目的・用途に応じて最適なカスタマイズが必要です。レース現場はコンマ何秒を競う世界であり、情報量は多く、ダッシュボードに備える機能も多岐にわたります。ユーザーインタフェース設計のポイントは、必要なタイミングで必要なものだけを表示する、余計なものは出さない、極限まで操作をシンプルにする、ということでした。フリー走行、予選、決勝というシチュエーションごとに現場が見たい情報、知りたい項目は異なるので、それぞれに特化したユーザーインタフェースが必要になります。

まずは、ヒアリングを通してどのような機能が必要なのかを洗い出していくのですが、最も重要なのは現場での観察です。私が初めて現場に行ったのは2021年最終戦の鈴鹿サーキットでした。ピットにビデオカメラを設置して録画させてもらい、誰が、どのタイミングで、どういう動きをしているかというところを記録し、詳細に分析させてもらいました。

特徴的だったのは、エンジニアの皆さんがイヤーマフ(耳を覆う防音具)をつけてコミュニケーションしていることでした。自陣はもちろん、隣のピットからもエンジン音がけたたましく鳴り響く環境ですから、普通に会話することはできません。では、どうするのかと思って録画映像を見ていると、エンジニアがPCの前に集まって画面を指さしている様子が何回も映っていました。つまり、アナリティクスデータを表示したPC画面が、耳が塞がれた状態での有効なコミュニケーションツールになっていたのです。そこで、カーソルを当てると項目をハイライトしたりポップアップしたりする機能を追加しました。現場の評判は上々でした。

もう一つ、パラメーター数値の入力のやり方を「キーボード直打ち」と「プラス・マイナスボタンによる上下」の二通りを用意したところ、現場の皆さんは、圧倒的にプラス・マイナスボタンを操作するスタイルを選ばれたのです。これも、録画ビデオを繰り返し見て気づいたことです。プラス・マイナスボタンを大きくすることによって、より使いやすく改善することにつなげました。

大立 ダダダダダって無意識に連打していましたね(笑)。ピットのエンジニアはペンやタブレット端末を持っていたりするので片手しか空いていない。利き腕が塞がっている場合もあります。そんなとき、数字を一つひとつ打ち込むのではなく、プラス・マイナスを何回か押すだけで数字を選べるという使い方を自然と選んだと思います。
 

―― 現場からの顕在化したニーズに答えるだけではなく、潜在的なニーズを地道な観察から発見したということですね。

 そうですね。ユーザー側から「ここを、こうしてほしい」という修正要求が出てきたとしても、なぜそのような要望が出てきたのかという真意と目的を理解しないと本当に使いやすいものにはなりません。私自身が腑に落ちるまで、しっかりお話を伺うように心がけています。

仕様書通りに器を作ってもデータアナリティクスはうまく機能しません。“現場百回”と言うと少し古臭いかもしれませんが、ユーザーが本当のところ何がやりたいのかを理解すること、現場で戦っているユーザーと同じ空気を吸い、同じ気持ちになって取り組むことが、とても大切だと思っています。

 

戦略エンジニアの新ポジションに挑戦

―― 金さんは、アナリティクスの導入をきっかけに、戦略担当エンジニアという新しいポジションを提案・創出したと伺いました。
 

金 三二/Sami Kin
株式会社 トムス レース事業本部 レース技術部 技術二課

2011年入社。日本のレース界をもっと強くするためには「戦略性」のテコ入れが必須というのが持論。強い思い入れを持って取り組んでいる。
 

トムス:金三二氏 自動車レースはカテゴリごとにルールが違います。レース中にタイヤを何度交換しなければいけないとか、ドライバーの交代は何回とか。あるカテゴリには同一クラスの車両しか走れないものがあれば、複数のクラスの車両が混じって走るレースもある。レースごとに勝ち筋、つまり戦略が全く異なります。レースでは必ず相手がいて、特に接戦の場合には駆け引きが勝敗を分けることが少なくありません。相手がどう動いているのか、それに対して自分たちはどう対応すべきかを徹底的に考えるのが戦略担当エンジニアの役目なのです。世界のレース界では戦略専門のエンジニアを置くことが当たり前になっているのですが、残念ながら日本は“周回遅れ”という状況です。背景には、独自の発展を遂げてきた日本のレース文化というものがありますし、チームの規模が比較的小ぶりで人件費が賄えないということなども影響していると思います。

とはいえ、トラックエンジニアはドライバーやオフィシャル、運営とのコミュニケーションなどでレース中は手一杯。データエンジニアもリアルタイムの分析に忙しい。戦っている相手の状況にも目を配って大局的に、あるいはちょっと違う視点をもって作戦を練るマンパワーをなんとか確保したいところなのです。私は元々車両メカニックとしてやってきたのですが、アナリティクスを導入したことによって環境が整ってきたこともあって、戦略担当をやらせてほしいと志願したのです。
 

―― アナリティクスの導入によって、これまで実現できなかったことに手が届くようになったということですね。日本レース界の先駆けとして。

金 はい。海外の事例やスタイルを参考にしながらも、日本にフィットするやり方を作り出していきたいと思っています。戦略担当エンジニアは入社以来の夢でした。新しい挑戦のチャンスを与えてもらえて、会社にもデロイト トーマツさんにも感謝しています。
 

脂汗を流しながらの試行錯誤も

―― 原さんは、本プロジェクトのデロイト トーマツ側リーダーですが、どんなことを心がけてきましたか。

 

原 知弘/Tomohiro Hara
デロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社 Decision Analytics & Technology

2021年に入社後、早々にトムス・プロジェクトに参画し現在に至る。4シーズン目となる2024年を自分自身にとって勝負の年と気を引き締める。


 

デロイト トーマツ:原知弘 レースの現場は非日常的な特殊な空間ですから、オフィスの机に向かって考えていては役に立ちません。2022年のシーズンからはピットに机を置かせてもらい、レースエンジニアリングに対する理解度を高めさせていただいています。

恥ずかしながら、最初はユーザー目線に追いつかないところもありました。例えば、「過去のレースデータと比較しながらシミュレーションをしてみたい」という要望をいただいたのに対して、ユーザーが現場で簡単なプログラムを組み、実行すると結果が出力されるといったシステムを作成して納品しました。プログラミングの経験が全く無い人でもちょっとしたポイントさえ押さえれば使っていただけると考えたのですが、全く甘かった。レース現場ではそんなことをやっている余裕は全くないし、そもそもプログラミングを学ぶためにリソースを割く余裕もないという反応をいただく結果に終わってしまいました。現場の状況に考えが及ばなかったことに反省しきりでした。

ユーザーインタフェースの面でも、後からプロジェクトに参加した同僚の星にずいぶん助けられました。アナリティクスはシステムの中身も大事ですが、それ以上に、現場でユーザーにどのように見せるか、どのように使ってもらえるか、という観点からの丁寧な作りこみが不可欠であることを、脂汗を流しながら、身をもって学びました。データオリエンテッドではなく、ユーザーオリエンテッドの発想で設計することが本当に使えるアナリティクスの王道だと思います。

 

勘と経験、そしてデータをフル活用する

―― デロイト トーマツ側もいろいろと勉強させていただいているようですね(一同笑)。小枝さん、アナリティクス導入で、何が変わったのか、これから何を目指すのか、総括をお願いします。
 

小枝 正樹/Masaki Saeda
株式会社 トムス レース事業本部 技術三課 主任

2007年入社。スーパーフォーミュラ「VANTELIN TEAM TOM’S」37号車担当のチーフエンジニア。手作業でのデータ入力・分析を長く経験してきただけに、アナリティクスの威力を肌身で実感している。


 

トムス:小枝正樹氏 アナリティクス導入の効果として一番大きいのは、新しい「時間」を創り出してくれたことだと思います。何をすべきかを考える時間、ドライバーとコミュニケーションする時間、車をチューニングする時間――効率化によって生み出した時間を我々レースエンジニアが本来やるべきことに振り向けることができました。

デロイト トーマツチームの皆さんには、本当に現場に寄り添っていただいています。プログラムやアナリティクスには素人の自動車エンジニアが「あれが欲しい」「これもやりたい」と好き勝手に要望することを、しっかり受け止めていただいて、期待以上のものを作っていただいている。アナリティクスを成功させるための基本は地道なコミュニケーションを重ねることにほかならないと、ユーザー視点からも思います。

日本のレース界がデータ活用を本格化させたのはこの10年くらいです。私がトムスに入社した頃はまさに勘と経験でやっていることが多かったのですが、今では膨大なデータをいかに活用するかがレースの勝敗を分けるようになってきました。勘と経験、そしてデータをフルに駆使したレースを展開していきたいですね。

モータースポーツの楽しみ方も変わってきています。我々が参戦しているスーパーフォーミュラでは「SFgo」(https://superformula.net/sf3/sfgo/)というサイトで、レース動画が視聴できるだけでなく、チーム無線が聴けたり、各車のテレメトリー情報やドライバーの操作がリアルタイムで見られたりするようになっています。

日本のレース界のデータ活用レースに勝ち抜けるよう、我々もますます精進していきたいと思います。

 

(司会・構成=水野博泰 DTFAインスティテュート 主席研究員)

Deloitte Analyticsトップページへ戻る

サービス内容等に関するお問い合わせは、下記のお問い合わせフォームにて受付いたします。お気軽にお問い合わせください。

オンラインフォームより問い合わせを行う

お役に立ちましたか?