Posted: 05 Apr. 2024 5 min. read

デロイト トーマツ サイバー 上原 茂が訊く 自動運転車実現への道【前編】

100年に一度の自動車業界大変革、生き残りに必要な施策とは

米国で無人自動運転タクシーの営業運行が始まっているのをはじめ、自動運転がいよいよ社会実装されようとしている昨今。日本でも、自動運転車が街中を走行する日はそう遠くはないと考えられます。

しかし、自動運転車による事故が早速見受けられるのも確かです。今なお、安全性と信頼性の確保は大きな課題として立ち塞がっているのです。

技術の進化に期待が高まる中、それに伴うリスク管理をどう実現するか。今回は、自動運転技術を支える車載電子制御システムやソフトウェア開発の専門知識を持ち、業界内で長年活動する著名なお二人をお迎えし、自動運転車の安全性を高めるための予防安全システムの進化やソフトウェアが果たす役割、自動運転技術が社会に広く普及するために乗り越えるべき課題について、それぞれの立場から意見を交わしました。

(2024年1月26日収録。各登場者の肩書は当時のものです)

【登場者】

・一般社団法人WSN-ATEC 理事長
独立行政法人 情報処理推進機構社会基盤センター 専門委員
田丸 喜一郎 氏

1981年慶應義塾大学工学研究科博士課程修了。工学博士。株式会社東芝を経て、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)に従事。一般社団法人ディペンダビリティ技術推進協会副理事長、一般社団法人人間中心社会共創機構理事、一般社団法人重要生活機器連携セキュリティ協議会フェロー、九州工業大学客員教授などを務める。
 

・一般財団法人日本自動車研究所
新モビリティ研究部 研究主幹 シニアエグゼクティブ
谷川 浩 氏

1983年トヨタ自動車株式会社に入社。エンジン制御用電子システム、センサー開発、車内LANや国際標準化活動等に従事。2004年には一般社団法人Jaspar設立に参画。2013年5月から日本自動車研究所(JARI)に籍を置き、国が推進する自動運転技術の研究や実用化、安全性評価方法の研究に係る事業などを幅広く担当し、現在に至る。
 

<モデレーター>
デロイト トーマツ サイバー合同会社 シニアフェロー
上原 茂

長年、国内大手自動車メーカーに勤務。国内OEMで電子制御システム、車両内LANなどの開発設計および実験評価業務に従事したほか、近年は一般社団法人 J-Auto-ISACの立ち上げや内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)adus Cybersecurityの研究リーダーを務めるなど、日本の自動車業界におけるサイバーセキュリティ情報共有の枠組みを構築。欧州駐在経験もあり、欧州自動車業界の動向などへの理解が深い。

(以下、敬称略)

 

「モノ作りからコト作り」ではなく「モノ作りとコト作り」
 

上原:現在は「100年に一度の変革期」と言われるように、自動車業界は「車というモノ」を提供する「モノ作り」から、「快適な移動という体験」を提供する「コト作り」への変化に直面しています。自動車の付加価値が「モノからコト」にシフトすることで、「安全・安心」に対する考え方も変化しつつあるのではないでしょうか。

この100年に一度の変革に係るキーワードとして「CASE (Connected / Autonomous / Shared / Electric)」「MaaS (Mobility as a Service)」が知られています。将来、自動車が常時インターネットにつながり、自動運転の実用化などが進むと、これまで特定の目的のために所有されてきた自動車が、多様な目的のために共有され、効率よく利用されるようにもなってきます。世界的には未だ自動車が普及していない地域もあれば代替需要もあり、モノ作りが急激に廃れるわけではありませんが、消費者行動が、移動手段として自動車を所有するよりも、必要に応じてサービスを買う方向に変化することが予想されます。自動車業界、特にメーカーは、将来の付加価値シフトに備えて、コト作りへの取り組みを強化していますね。そんな中で、やはり私たちの一番の関心事は安全・安心ですので、ここから話を始めたいと思います。

 

谷川:自動車の安全・安心に関してですが、安全装備の話と、品質や信頼性に関する話の二つの観点で考える必要があります。まず安全装備の話ですが、かつて自動車メーカーにとって、安全・安心は「儲からない領域」でした。例えばエアバッグの数やアンチロックブレーキシステム(ABS)などの安全装備が購入動機に大きな影響を与えることはありませんでした。

しかし、2000年代後半に欧州から始まった「ぶつからないクルマ」が安全への関心や理解を急激に高め、先進安全技術の価値が認められるようになりました。安全・安心が今日ほど注目されるようになった歴史は浅いものの、その技術進化や普及の速度は目覚ましく、安全装備を進化させるモノ作りでも、新しい移動サービスを提供するコト作りでも、安全・安心は今後ますます重要な競争領域と言えます。

次に、品質や信頼性に関する話ですが、モノからコトへの変化に関わらず、自動車業界の意識や取り組みが変わるとは思いませんが、移動サービスに係る情報系やスタートアップの方々の文化や価値観、仕組みなどは自動車業界と異なることが知られているので、両者の長所をうまく融合させるような取り組みが必要になってくると思います。
 

谷川 浩氏(新モビリティ研究部 研究主幹 シニアエグゼクティブ)

 

田丸:私は「モノ作りからコト作り」というトレンドは、ともすれば誤解を招く表現だと捉えています。自動車メーカーは「モノ作り」に重きを置かなくなるようなイメージを抱く方がいらっしゃるかもしれませんが、時代のトレンドが「モノ作りからコト作り」に移行したからといって、自動車メーカーが「モノ作り」の重要性を軽視することはありません。

自動車産業の核心は、あくまでも高品質な自動車の製造です。ですから、モノ作りへの徹底的な取り組みが根底にあり、そのうえで市場の変化に応じて「所有から体験へ」というニーズに適応し、サービスとして「コト」を提供することが求められているのです。

 

上原:つまり自動車メーカーは「自動車というモノを作り、それを利用したコトを提供する企業」を目指さなければならない。モノ作りの技術とコト作りの発想を両立・融合させることが、今日の自動車メーカーに求められる戦略なのですね。

 

 

巨大化する車載ソフト、安全を死守するには何が必要か
 

上原:車両の安全性能を向上させるうえで重要な役割を果たしているのが、ソフトウェアです。特に、Software Defined Vehicle(SDV*1)の概念が注目される現在、言うまでもなく重要なのはソフトウェアの開発であり、その大規模化に伴い、開発には莫大な労力が必要となってきています。

実際、先進運転支援システムなどの開発を考えると、自動車メーカーやサプライヤーのソフトウェア技術者にかかる負担は非常に大きく、業界全体で人手不足が指摘されています。田丸さんは、この現状をどのようにご覧になっていますか。

 

田丸:確かに私が車載ソフトウェア関連の仕事を始めた40年前は、数千行のプログラムが1個のユニットに収まっている時代で、担当する技術者は(そのプログラムの)内容をすべて把握していました。ですから現在と比較して機能は限定的でしたが、品質や性能は高かったのです。

しかし、現在はソフトウェア(プログラム)の量と複雑さが増しています。1億行を超えるものも珍しくありません。これに対応するためには従来の車載ソフトウェアの開発手法ではなく、エンタープライズソフトウェアの開発手法を取り入れざるを得なくなっています。

ただし、エンタープライズソフトウェア開発では「安全性」が最優先されるわけではなく、「問題は次のアップデートで修正する」というアプローチが一般的です。しかし、人命に関わる車載ソフトウェアでは、このような対応は許されません。本来であれば、ソフトウェアが巨大化・複雑化する前に、より効果的な対策が必要でした。しかし、その対応が遅れてしまったため(自動車産業におけるソフトウェア開発の)課題となっているのです。

 

上原:車載ソフトウェアに限らず、従来の製品品質確保のプロセスでは、企画から設計、そして評価へと進み、評価結果をもとに設計や企画段階へ戻って改善する流れが一般的でした。しかし、最近では製品の開発手法としてDevOps*2が注目されています。十分な商品テストを行ったうえで製品を世に送り出すのが一般的だった自動車業界では、DevOpsでモノ作りをすることに懐疑的な声も聞かれますね。

 

田丸:DevOpsが登場したのは、急速に変化する市場に対応するためです。製品ライフサイクルは、かつての10年~20年単位から、現在は数カ月に短縮されています。自動車産業もこの例外ではありません。実際、車両を企画した時と市場投入する時では、顧客ニーズが変化していることも頻発します。そのため、無線通信(OTA:Over-The-Air)技術でソフトウェアをアップデートし、少しでもそのギャップを減らそうとしているのです。

このような環境下で、市場の動向に合わせつつ安全性の高いソフトウェア開発を継続することは、自動車メーカーにとって大きな挑戦です。安全性と迅速な市場対応を両立させることができれば、日本の自動車メーカーは国際競争力を保ち、うまく勝ち残れるでしょう。
 

田丸 喜一郎氏(独立行政法人 情報処理推進機構社会基盤センター 専門委員)

 

 

制御系と情報系のソフトは設計思想が違う


谷川:「モノ作りからコト作り」の流れでSDVにフォーカスするのは違和感がありますし、誤解を招く可能性があると考えます。

これまで、カメラやLiDAR(Light Detection And Ranging)などを使った認識技術、車載マイコンや通信技術などが飛躍的に進化し、先進安全システムや高効率クリーンエンジン制御システムなどがほとんどの車両に装備されるようになって、車載ソフトウェアの規模と複雑さが増大してきました。昨今、それが爆発的に増大すると懸念されているのはCASEの中のConnectedとAutonomousの影響ではないかと思います。

ナビゲーションシステムや外部との通信などから得られる車外の情報も加味してドライバーが行っていた運転行動(認知・判断・操作)を、将来は自動運転システムが肩代わりすることを考えると、知的なロボットが車載されるようなもので、車外との連携も含めて電子制御システム・ソフトウェアは桁違いに増大します。モノからコトへの流れによって移動サービスを提供するための予約や決済などのソフトウェアがSDVの対象と考えるのは間違いかと思います。また、車載ソフトウェア全体がSDVの対象とは違うようにも思います。車載ソフトウェアの中には、自動車メーカーが責任を持って取り組んできた「走る・曲がる・止まる」という走行制御の基本要素、運転体験を豊かにするインフォテインメント、つまり情報系の要素、そして両方に係る高度運転支援・自動運転の要素など、性格の異なる要素があります。SDVの対象は、高度な障害物認識や地図情報、AIなど大規模なデータを扱う情報系と自動運転の要素ではないでしょうか。

 

上原:自動車の基本性能をコントロールする車両運動制御システムとインフォテインメントシステムは、分けて考えなければならないということですね。

 

田丸:確かにSDVの議論では「自由に変更してよい部分」と「絶対に変えてはいけない部分」を明確に区別することが必要です。ビルを例に説明しましょう。 柱や梁、床板といったビルを支える重要な構造部分は、ビルを解体するまで変更しません。一方、フロアの内装や壁紙、床材といった部分は用途に応じて変更しますよね。自動車も同じです。走行安全に直結する基本性能は変更禁止ですが、車内の快適性や利便性に関わる部分はユーザーのニーズに合わせて変更できます。この部分が「コト作り」なのです。

 

谷川:その通りです。一方で、「自由に変更してよい部分」と「絶対に変えてはいけない部分」を明確に区別することの難しさが想像されます。

車載ソフトウェア開発の良否を左右する重要な要素として、ソフトウェア開発の初期に全体の「構造」を設計するプロセスとソフトウェアアーキテクトの存在が知られています。ソフトウェア規模と複雑さが爆発的に増大する高度運転支援・自動運転の領域で構造設計を担うアーキテクトには、走行制御系と情報系、変えてはいけない部分と変えてよい部分などがあります。それらすべてを熟知するスーパーマンなどは存在せず、この問題にどう取り組むかもSDVの重要な論点になるのではないでしょうか。

 

 

自動車メーカーに必要なのは「目利き力」と「コミュ力」
 

上原:次に、車両や車載システムの評価試験において高度なソフトウェアがもたらす進化について伺います。さまざまなパラメーターを振って計算させる高度なシミュレーション、さらにその上を行くリアルタイムデータを使って評価試験を行うデジタルツイン評価、これらを活用してより高度なバーチャル評価ができるようになれば、将来的に試作車の製造やテストコースでの実走行といった、自動車メーカーにとって莫大なコストと労力を要するプロセスは不要になるという考えがあります。果たして、そのような未来は実現するのでしょうか。

 

田丸:それはないと思います。確かにデジタルツインのような技術を使えば、自動運転システムの安全性評価はバーチャル空間でも可能です。その結果、試作車の必要台数を減らしたり、シナリオテストをより効率的に行えるようになったりはするでしょう。しかし、試作車が必要なくなる世界は到来しません。

 

谷川:将来的にデジタルツインを用いてほとんどの評価が行えるようになり、試作車を使用した評価が「念のための確認」程度になる可能性はあります。田丸さんが指摘された「変えてはいけない走行安全を司る基本性能」についても、デジタルツインで精度を高められることはあるでしょう。しかし、性能向上や新機能をデジタルツインだけで評価できるようにはなりません。

 

上原:シミュレーションやデジタルツインといった技術の開発は、新進気鋭のベンチャー企業が先進的な取り組みを行っており、伝統的な大手メカニカル企業はその後塵を拝している印象です。大手自動車メーカーがそうした技術を活用するには、ベンチャー企業と手を組む必要がありますよね。どのような観点でパートナーを選択すればよいでしょうか。
 

上原 茂(デロイト トーマツ サイバー合同会社 シニアフェロー)

 

田丸:新進気鋭のベンチャー企業かどうかは重要ではないと考えます。大手自動車メーカーには製造分野での経験豊富なベテランや、長年にわたってソフトウェアを開発してきた専門技術者がいます。しかし、「ユーザーが自動車を通じてどのような体験を求めているか」といったサービスデザインの分野では、ベンチャー企業が優れていることが多いです。ですから、その分野では自社より秀でている企業と、規模に関わらず協業すればよいのではないでしょうか。

 

谷川:自動車メーカーはこれまで、インフォテインメントシステムなどの電子部品を専門のサプライヤーから供給されてきました。この構造はサービスデザインでもセキュリティでも同様です。自動車メーカーの開発チームは「安全でセキュアな車両」の開発には長けていますが、世界中で進化するサイバー攻撃の手法やトレンドをすべて把握しているわけではありません。ですからセキュリティ企業と協力しているのです。

 

上原:つまり、自動車メーカーがこれまで持っていなかった技術やノウハウを提供できるかどうかが、パートナー選択の重要な基準ということですね。

 

田丸:むしろ自動車メーカーに求められるのは「目利き力」です。ユーザーのモビリティ体験に対するニーズは多様化していますから、それらを満たせる技術を把握し、それを持っている企業を見極める能力です。さらに言えば、両者が納得する形の協業体制を提案し、「一緒に取り組みませんか」とコミュニケーションできる“コミュ力”も必須です。

 

上原:自動車メーカーではそうした目利き人材、特にセキュリティ分野に特化した「目利き」ができる専門人材の育成が非常に重要であるという認識はあり、実際に取り組んでいますが、短期間での育成は容易ではないと感じています。逆に自動車メーカーと協業する側のエンジニアにはどのようなスキルが求められますか。

 

田丸:現時点で最も重要なことは、自動車製造の安全性の考え方や開発文化をしっかりと理解し、学ぶことです。自動車の基本性能を軽視するような体験やサービスの提供は許されません。

 

上原:「開発文化」を理解し、体得することは容易ではありませんが、重要なポイントです。特に、安全性や品質に関する考え方は、その組織が長年にわたって培ってきた価値観や哲学に深く根ざしています。例えば、民生用の家電製品を製造してきた業界と、自動車を製造してきた業界では、製品の安全性や耐久性に対する基準や期待値が大きく異なりますから、おのずと製造プロセスやアプローチも違ってきますよね。

 

谷川:企業文化の違いは、伝統的な自動車メーカーとシリコンバレーのスタートアップ文化の間で特に顕著です。自動車メーカーは資源を最大限に節約し、計画的かつ慎重に製品開発を進めます。これに対して、シリコンバレーのスタートアップは、利用可能な資金を活用して大胆な実験やイノベーションを推し進める傾向にあります。「創造性を育む」という観点から快適なオフィス環境や福利厚生を充実させていますよね。この部分はうらやましいと感じてしまうのですが。

ベンチャー企業が持つ価値は、その柔軟性とカット&トライ(試行錯誤)の精神にあります。伝統的な企業がベンチャー企業と協力することは、顧客に新たな体験を提供する重要な戦略の一つだと言えるでしょう。

 

*1:車両の機能や性能をソフトウェアで定義し、制御するコンセプト。従来のハードウェア中心の車両設計ではなく、自動車と外部との双方向通信でソフトウェアを更新し、新機能の追加や既存機能を改善する。

*2:開発(Dev)と運用(Ops)の連携を強化し、継続的な改善と迅速な製品リリースを可能にする開発手法。

【後編に続く】

プロフェッショナル

林 浩史/Hiroshi Hayashi

林 浩史/Hiroshi Hayashi

デロイト トーマツ サイバー合同会社 パートナー

シンクタンク、公的機関などの研究員を務めた後、IT機器メーカーやセキュリティベンダーなどで医療IT、車両の電気電子システムの開発や車両サイバーサイバーセキュリティのコンサルティングなどに従事した。 現在は、コネクテッドカーや自動運転車両などのサイバーセキュリティ関連業務を中心に、自動車業界のサポートを行っている。 また東京電機大学総合研究所研究員として、サイバーセキュリティの研究にも従事している。 主な著書:「インテルParallel Studioプログラミングガイド」(カットシステム)